イギリス国民はインフレ退治に「社会契約」に賭けた

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1973年冬、オイルショックに便乗した炭坑ストで、週3日しか工場が動かせなくなったイギリス。

 

そこで「一体誰がこの国の統治者なのだ?」と訴えて総選挙に打って出た保守党ヒース首相であったが、残念ながら国民の支持を得ることができず、僅差でウィルソン労働党内閣が誕生した。

 

ウィルソン労働党内閣はマニフェストで、労使双方の「社会契約」によってインフレと賃上げをコントロールする公約を掲げておりこれにイギリス国民は期待を賭けた形となったのだ。

 

60年代から70年代のイギリスでは、インフレを口実にして炭坑ストが起こり、炭坑ストが原因で2ケタのインフレが起こっていた。

 

特に70年代後半にはインフレ率が15%を越えるのも当たり前になって、近隣諸国のインフレ率を大きく上回っていた。

 

当時のイギリスではまだ暖房や煮炊きを石炭に頼っていたのだが、石炭需要が増える秋頃になると炭鉱の労働組合が、「生活が苦しい」と言って毎年賃上げストを始めた。

 

炭坑労組がストを行うと、石炭の生産が止まり、石炭価格が上昇して、国民の不満感が高まる。

 

当時のイギリスでは石炭は生活必需品だったから、石炭価格が上がると家計が苦しくなり政府が批判されたのだ。

 

なので国民の不満を抑えるために政府は早めの妥結を目ざし、炭坑労組は毎年あたりまえのように賃上げを勝ち取っていた。

 

しかし炭坑労組が賃上げを勝ち取ると、、石炭価格は値上げされ、エネルギーコストが上昇した。

 

エネルギー価格が上昇すると、生産物のコストも上がってしまうので、モノの値段が上がってしまい、またインフレが起こった。

 

そこで様々な業界でストが行われ、様々なモノの値段が上がった。

 

こうしてまた石炭需要が高まる冬頃には、炭坑労組が「生活が苦しい」と言ってストを始めたわけだ。

 

こうして、インフレ→炭坑スト→賃上げ→石炭値上げ→インフレという、コスト・プッシュ・インフレの悪循環にイギリス社会は陥っていたのだ。

 


社会契約を労働組合はのむのか?

ストとインフレの悪循環を断つためにウィルソン労働党が提案した「社会契約」。

 

社会契約とは、主要企業と労組と政府がインフレを抑制するために賃上げ抑制で協力し合うという紳士協定だ。

 

企業側は、労働党政権による経営介入を回避するため、社会契約による賃上げを受け入れざるをえない状況だった。

 

何しろ労働党は1974年の綱領で黒字企業25社を「国営企業庁」の傘下に入れ、実質的な国有化を目指すことを、決議していたからだ。

 

さらに「産業民主主義」という名目で、経営委員会のメンバーの半数に労働組合代表を入れるという策も準備していた。

 

金目のモノは全て国有化し、労働組合が支配する」という、国民搾取主体丸出しのこの綱領を、労働党が強行実施しはじめたら、企業が労働組合に合法的に乗っ取られてしまう。

 

なので企業経営者側はイヤイヤながらも労働党に協力せざるを得ない状況であった。

 

一方、TUC(イギリス労働組合会議:Trades Union Congress)が賃上げの上限設定を含む社会契約を受け入れて遵守するかどうかが大きな焦点であった。

 

ここでもう一悶着あるかと危惧されたのだが、意外にすんなりTUC側はこの社会契約を受け入れた。

 

というのも労組側ではイギリス憲政史上初めて労組ストによって保守党政権を打倒することに成功し、十分な賃上げも勝ち得たことで満足していたからだ。

 

また僅差で政権を運営する労働党の足を引っぱると、労働組合に有利な政策の実現も危ぶまれるので、しばらくは戦闘的な行動を控えようと言う心理が働いたらしい。

 

この結果、労働者がストから職場へ戻り、工場も週5日操業できる状態に戻ったため、イギリス国民は取りあえず満足し、74年10月に行われた総選挙では、労働党は議会の過半数の議席を獲得することに成功した。


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