民主主義は、女神の国で始まった

民主主義は、女神の国で始まった

民主主義は、女神アテナの国・アテナイで始まった

古代ギリシャの大哲人、
アリストテレスが「善き統治」としたのは、
デモクラシー・民主主義ではなかった。

 

プラトンやアリストテレスが生きたのは
紀元前4世紀、古代ギリシャの
アテナイ(アテネ)であるが
直接民主制が始まってから年月がたっていて
既に様々な問題点が見えていたらしい。

 

因みに直接民主制というのは世界史で習ったと思うが
有権者が直接議論し、議決に加わる仕組みである。

 

アテナイの有権者(市民権を持つ成人男子)は月に四回、
都市のアゴラと呼ばれる広場に集まり、
様々な政治討論を行って多数決によって方針を決めていた。

 

この会議を民会(エクレシア)と呼ぶのだが、
民会では年に一度、将軍や財務担当大臣などを選挙で選び、
月に一度、戦争に関わる重要議題を議論し、投票によって議決を行った。

 

今から2500年前の古代ギリシャになぜ
このような近代的な政治システムが出来ていたかというと、
これは元々、軍事的な会議だったからである

 

アテナイはギリシャ周辺では非常に貧しい国であったが、
周辺諸国から商人や技術者をどんどん受け入れ、
商工業や海洋貿易で発展したため自然と市民の発言権が大きくなっていた。

 

さらに一般市民で構成される重装歩兵や軍艦の漕ぎ手が
対外戦争で重要な位置を占めるようになったため、
戦争に出かける兵士たちを加えての会議が必要だったのだ。


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古代ギリシャになぜデモクラシーが?

今から2500年前の古代ギリシャ・アテナイでは
民会というデモクラシーが既に存在していた。

 

アゴラという広場に月4回有権者が集まり
主に戦争に備えた会議が開かれていた。

 

アテナイでこのような民主的な会議が
2500年も前に開かれていた背景には
強大国ペルシャの存在があった。

 

海を隔てた向かい側にはアケメネス朝ペルシャがあり、
エーゲ海の覇権をかけて戦っていたからである。

 

アテナイの主力は重装歩兵と海軍であり、
一致団結して敵に当たるためには
会議で意思統一が必要であったということらしい。

 

なのでペルシャ戦争終結後は、
サラミス海戦で重要な役割を担った軍艦の漕ぎ手の
下層市民の発言権までもが増し、
それで民会が開かれることになったのだ。

 

要するに戦争をスムーズに遂行するために、
みんなで集まって意思統一するために会議をしたって事だね。

 

民会では市民権を持つ成人男子が集まり自由に発言できたが、
議題は有力者で構成された500人会であらかじめ決められたもので、
それを議論し、決定するという仕組みであったらしい。

 

アテナイの直接民主制は軍事的に必要だったからできた民主制であり、
だから別名、軍事民主制とも呼ばれる。

 

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