イギリスの学校崩壊の原因は家庭崩壊?
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イギリスの学校崩壊・教育崩壊の原因は、家庭崩壊が原因だという説も出された。
イギリスでは、十代の母親が増え、離婚率が跳ね上がり、単親家族が増加していたのだ。
イギリス社会は元々晩婚社会であり、14~15歳で奉公に出て20歳前後で独立し、20代後半に結婚するのが普通だった。
ところが離婚率は70年代の2倍に増え、なんと40%でEU諸国内でトップ。
十代女性の妊娠率は、16歳以下で0.46%、16歳から20歳で4.69%。
1997年の調査では、生まれた子供のなんと3人に1人が婚外子だった。
全所帯数に占める標準家庭(夫婦と子供からなる家庭)の割合は、71年が43%だったのに対し、98年には30%まで減少した。
実数では800万所帯→708万所帯と、100万世帯も減った。
一方、単親家庭の割合は、18%→28%に増加し、実数でも130万世帯から236万世帯へと増えたのだ。
扶養義務のある子供のいる所帯に対する比率では、母子家庭が6%(72年)→19%(98年)、父子家庭が1%→2%、標準家庭が92%→77%と変化した。
すなわち現代イギリスでは、子供のいる家庭の5分の1が単親家庭で、そのうちの9割以上が母子家庭という状況なのだ。
そして母子家庭の母親のうち、9割以上が働くことを希望しているが、実際に働いているのは41%に過ぎず、その殆どが週16時間以内のパートタイマーだった。
つまり1日平均で2~3時間程度しか働いておらず、殆どが単親家庭向けの家族手当に依存して暮らしていた。
1997年の青少年犯罪(暴力事件)は、1981年の2.3倍に増加したが、これは同時期に単親(母子家庭)が2.3倍に増えたのと比例しており、問題なのは働く母親なのか、それとも父親不在のせいかという議論が起こった。
ブレア労働党が、コミュニティ再建を主張する理由は、どうやらこの辺にあったようだ。
ブレア労働党の教育改革
ブレア労働党政権でも教育改革は最重要の課題だった。
ブレア政権では教育水準の向上が最重要だと宣言し、学力向上政策への抵抗や妨害に対して牽制した。
また実績を出さない学校に対しても寛容を示さず、教育水準向上のためには、いかなる相手とも協働すると宣言した。
そして具体的な教育の目標としては、、、
- 5~7歳児のクラスは、定員30人以下とする
- 1日に最低一時間は読み書きと計算能力向上のための学習に当てる
- 能力別クラス編成を行う。
- 宿題については、全国的な実施ガイドラインを定める
また学校ごとに教育目標を明確にして、その達成に責任を負わせる事にした。
全ての生徒にGCSE試験を受験させることを義務づけ、教師の教育能力、校長の指導・管理能力の向上を図り、再教育の機会を与えることにした。
さらに教育基準審査期間の視察を厳格に実施し、教員に対する勤務評定などに対する通達も行われた。
これらの政策が実施された結果、1998年には全国で3万人もの教員が転出し、そのうちの約9,000人が教師を辞めた。
また理科、外国語、宗教などの科目の教員が定員割れとなった2000年には、全校生徒の15%以上がGCSE試験の合格レベルが5科目以下の成績だったいわゆる『失敗校』68校に対して、廃校及び再スタートの警告が出された。
しかし再スタートのために派遣されたスーパー校長も、なかなか結果を出せずに辞職が相次いだ。
職業訓練校でも、定時に集合して、挨拶して、同僚と会話するという簡単なことですら、上手くできない若者が増えており、イギリスの教育の改善は前途多難であった。