ブレア労働党の「福祉」とは

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第二次世界大戦後にアトリー労働党政権は、荒廃した国を立て直すために基幹企業を国有化した。

 

医師や看護婦を公務員として無料医療制度を作り、救貧制度(老齢年金)や公営住宅の建設によって、国民に取りあえず生活できる環境を作り、福祉国家を作り上げた。

 

ところが復興がすっかり完了した70年代になると、福祉のバラマキによる財政赤字が深刻になった。

 

また基幹産業の労組が国のインフラを支配して、毎年のように数週間のストを行って大幅賃上げをもぎ取り、それが原因で2ケタ以上のコスト・プッシュ・インフレを引き起こした。

 

国民の勤労意欲も内外の投資意欲も減退し、組合や福祉があるから働かなくてもいいかという、巨大なモラルハザードが発生した。

 

そこで保守党のサッチャーは労働組合の解体を行い、国有企業を私有化し、減税や規制緩和を行い、市場原理・利潤原理を取り入れて経済の再建を目指した。

 

サッチャー政権の「新自由主義」施策によってイギリス経済自体は活気を取り戻し始めたが、その結果、貧富の差が拡大し、若者の長期失業が増え、犯罪の増加などという現象が起こった。

 

なのでブレア労働党政権では、経済の活力を維持しつつ、格差の縮小や貧困対策をどうすすめるかということが課題になった。

 

ブレア政権では、全ての人が仕事に就き、稼ぐことによって収入を得て、自立することで、貧困から脱出することを原則とした。

 

障害者に対しても可能な限り働くことを前提とし、働かない者は優遇しないようにした。

 

貧困家庭に生まれ育ったせいで、さまざまなスキルを身につけることができず、非熟練単純労働にしか従事できない状態を「社会的排除」と呼び、これを減らすことを福祉と呼ぶことにした。

 

行政にぶら下がらざるを得ない人を減らし、働いて自立できるように支援するのが、ブレア労働党の福祉と言うことだ。

 


教育・教育・教育

サッチャーはイギリス国民に対し、福祉にぶら下がるのではなく自立を要求した。

 

サッチャーは労働階級出身であり、そこから努力によって出世してきた人間だったため、自分同様「自助」による「自力救済」を求めたのだ。

 

イギリス企業では仕事は能力主義であり、労働者階級出身で高卒のメージャーでも、投資会社の重役になったり、さらにはイギリス首相にまで上り詰めることができた。

 

だから国民に対して厳しく自らを律し、自分の力で這い上がることを望んだわけだ。

 

しかしブレア達は、それを教育レベルの低い、向上心に欠ける非熟練労働者に望むのは無理で、到底不可能だと考えた。

 

彼らに必要なのは知識とトレーニングであり、そのために重要なのが教育で、さらには若者だけでなく、年配者に対する教育も必要だと考え、生涯教育を唱えた。

 

というのも変化の激しい現代社会では、どんどん進む技術革新に追いつく必要がある。

 

また全く異なる仕事に転職するのも当たり前になるから、常に変化に対応できる能力と心構えが必要になる。

 

となると若い頃に学んだ知識や教育では不十分になるから、年配者も教育を受け直す機会が必要である。

 

また若年シングル・マザーに対しても、子供の保育支援と母親の教育機会の確保が必要なのだった。

 

なのでブレアは総選挙前に、重要政策を3つ挙げて欲しいという問いに対して、「それは、教育と教育と教育だ」と述べ、再教育制度や生涯教育制度を推し進めたわけだ。a>


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