サッチャー完勝の理由
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サッチャーの炭坑スト対策は、完璧であった。
サッチャーは、スカーギルら共産党分子が支配する労組が、どうやってストを貫徹させるのか熟知していた。
そしてそれが国民に受け入れられるモノではなく、いずれは破綻するものだと分かっていた。
73年、石炭労組がヒース政権打倒に成功したのは、全国炭坑ストによって石炭不足を発生させ、石炭に頼るイギリス経済を麻痺させることによって国民の不満を政府に向かわせたからだった。
つまり炭坑労組が石炭というイギリスの基盤エネルギーの生産・供給をコントロールできたからこそ、それを人質にして政権を揺さぶったり、年間10億ポンド(3000億円)もの巨大な助成金をせしめることができたわけだ。
だからサッチャーはまず、炭坑依存度を下げた。
炭坑労組が政権を打倒できた物理的原因は、イギリス社会が石炭(炭坑)に大きく依存しているからで、まず石炭や炭坑に依存しない社会を作ることが必要だ。
なのでサッチャーは秘密裏に石炭備蓄を進め、さらに不足時には石炭を緊急輸入できる手筈を整えた。
火力発電所も石炭以外の重油で発電できるように改良し、石炭供給が止まっても、電力供給が止まらないようにした。
北海油田の開発が進み、石油が採掘できるようになったのも、サッチャーには大きく幸いした。
こうして、炭坑労組がストを行っても、イギリス経済が止まらないように体勢を整えた。
サッチャーが対決を先延ばしにした理由とは
79年の「不満の冬」によって、地滑り的大勝利を得たサッチャー保守党。
安定多数の議席を得ていたサッチャーにとって、労組を叩くだけならいつでも可能であった。
しかしサッチャーは、イギリス社会には根本的な改革が必要であり、そのためには周到に準備を進め、時期を選ぶことが重要だと考えていた。
たとえば労組を叩くにも、それなりの正統性が必要だし、それを国民に浸透させる時間も必要だと考えていた。
そうしなければまた、労組によって国の経済が脅かされる時代に戻りかねない。
だから石炭備蓄量がまだ十分でなかった第一次政権では、炭坑労組との対決を先延ばしにした。
不満の冬によって、国民の労組に対する目は厳しくなっていたが、基幹産業の労組が社会インフラを握っている以上、まだまだ油断ができなかったのだ。
というわけで23の不採算炭坑の閉鎖を提案してみたモノの、炭坑労組が全国ストをちらつかせると、すぐに提案を引っ込めて、5%もの賃上げに応じてストを回避したわけだ。
サッチャーはそうして炭坑労組との対決を先延ばしにし、その間に基幹産業の労組がストを行っても、国民生活に大きな影響が及ばないように法律を改正した。
労働組合に支配されていた個人を解放し、労働組合の利益のために搾取されていた労働者に、権利を与えた。
すなわち「労働組合の民主化」である。