ミリタント派、リバプール市議会の過半数を獲得
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労働党改革を進めるキノックを待ち受けていたのは、加入戦術によって労働党に潜入していたリバプールのミリタント派の悪評であった。
リバプールは北西イングランドに位置する貿易港で、産業革命以前から、北アメリカと西アフリカを結ぶ三角貿易で栄えた街だった。
奴隷貿易で発展し、アイルランド移民も多い街で、貿易と繊維産業が産業の主力であったが、第二次世界大戦時にドイツ軍の爆撃で壊滅し、繊維産業も戦後、急速に衰退してしまっていた。
リバプールはザ・ビートルズの出身地としても知られ、現在は観光都市として栄えているが、最近まで新しい産業が興らず単に貧しい港湾労働者がいっぱいいる街に落ちぶれていたのだ。
なのであちこちにスラムができて不衛生になっており、スラム浄化のために毎年かなりの税金が投入されていたが、どういうわけだか貧しいまま年月が、たつだけになっていた。
そしてサッチャーが政権について財政削減を始めると、労働者の5人に1人以上が失業状態に陥り、50万人の人口のうち、なんと14万人が失業。
特に24歳以下の若年層の失業率は、30%をゆうに越える事態になった。
そこでリバプール労働党はミリタント派の政策を採用し、「Better to break the law than break the poor」(貧しい者を壊すより、法律を壊す方がよい)というスローガンを掲げ、自由党のテリトリーだったリバプール市議会で、1983年5月、初めて過半数を獲得した。
ところがミリタントが始めたのは単なるバラマキだったから、リバプール市の財政状況は一気に悪化して大騒動になった。
ミリタント派 バラマキ行政を開始
ミリタントが支配するリバプール労働党は、市議会で過半数を取ってすぐバラマキ政治を始めた。
手始めに、公営住宅の修繕費という名目で、公営住宅1戸あたり16ポンドを特別支給し、次に前議会が決めたリストラを破棄した。
具体的には1200人の解雇計画を取り消し、さらに新しく1000人を雇った。
都市再開発5カ年計画を立て、5000戸の住宅建設と、7つのスポーツ施設、新しい公園と6つの新しい保育所を建設し始めた。
しかしこれを行うための財源など、殆どなかったから、地方税であるレート税(固定資産税)の税率がいっぺんに跳ね上がってしまった。
当時のイギリスの財政では、地方自治体の収入は、
- 政府からの一般交付金と特定補助金(国庫補助金)、
- 公営住宅の家賃収入と公営施設などの利用料、
- 地方税(レート税:現在はカウンシル税)
というのもイギリスの場合、教育や医療などは国営であり、政府はその必要経費を標準査定(SSA)によって査定して、国庫補助金を支給するシステムを取っていた。
地方自治体が独自の意志で支出を増やす場合、地方税を増税して財源を賄う仕組みだったのだ。
つまり最小限の公共サービスを提供する費用は政府が税金を集めて支給するが、それ以上のサービスが必要なら、自分のところでお金を集めてやって下さいと言うことだね。
そのため地方自治体は予算編成を行った後、歳入不足分をレート税率の引き上げで賄っていた。