産業革命で人口が爆発、労働者が多数派になった

19世紀のイギリスの政治の流れをいったんここでまとめておくことにする。

 

まず産業革命による工業化が進み、労働時間の短縮と賃上げを求めた争議が増えた。

 

しかし隣国フランスではフランス革命が起こり、民衆による王政打倒が実現されたもんだから、民衆蜂起を怖れたイギリス議会では、1799年に団結禁止法が制定され、ストライキなどの労働運動が弾圧された。

 

この団結禁止法は、1824年には廃止されるのだが、これ以降、新興勢力の発言力が少しずつ増していくことになる。

 

1832年には、第一次選挙法改正が行われ、新興地方都市に新しく議席が割り当てられ、中小商店主レベルまでに選挙権が拡大する。

 

選挙民が増えたことによって、トーリー党(保守党)のロバート・ピールは、有権者に分かりやすいようにマニフェスト(政権公約)を掲げて選挙を戦ったが、これ以降、このスタイルが新しい選挙の形になり、トーリー党は保守党と名前を変えた。

 

一方、選挙法改正で選挙権が与えられなかった労働者たちは、1838年ごろからチャーティズム(チャーチスト運動)を起こす。

 

これは成人男子全員に下院の選挙権を与え、普通選挙の実施を求める運動だ。

 

しかし隣国フランスで男子普通選挙を導入した結果、ナポレオン3世の独裁という事態が起こっており、チャーチスト運動は時期尚早として頓挫してしまう。

 

しかし爆発的に増えるロンドンの人口と、労働者階級の成長は無視できない。

 

そこでイギリス議会は1867年(第一次ディズレーリ保守党内閣時)に、都市部の戸主選挙権を認め、有権者は2倍の200万人に増えた。

 

またグラッドストン自由党政権時には小学校が整備され、義務教育への道が開かれはじめる。

 

さらに労働組合法ができ、スト権は制限されていたが、労働組合も社会に必要なモノだと認められていく。

 

選挙の投票方式も公開投票から秘密投票式に改められた。

 

これによって、チャーティズムで求められていた6箇条の市民憲章が徐々に実現されていった。

 



戸主選挙権と社会主義

5年のグラッドストン政権の後を受けた第二次ディズレーリ保守党内閣では、た労働者の支持を取り付けるために、労働者を優遇する社会政策を打ち出された。

 

あまりに露骨な人気取り政策だったので、ライバルの自由党グラッドストンに「トーリー・デモクラシー」とけなされるくらいだったらしい。

 

そうして1884年には、農村部を含めた全国規模で小選挙区制がスタートした。

 

小選挙区制とは、選挙区から1人の議員を選出する方法で、これによってイギリスでは二大政党が交互に政権を担当するという形になっていった。

 

一方、戸主選挙権が認められたことによって、カール・マルクスは資本主義の発展が必然的に社会主義へ移行するという説を唱えた。

 

マルクスによると、資本主義の発展は労働者のスキルアップを必要とし、スキルアップした労働者は必然的に賃上げや待遇改善を求める。

 

労働者階級を含む普通選挙が行われるのであれば、多数派である労働者の意見が優先されるはずだから、平和的に社会主義が実現するはずだというわけだ。

 

逆に資本主義の発達が未成熟で、奴隷と変わらないような労働者しかいない国では、選挙による社会主義は実現しないから、暴力による革命が必要だということになる。

 

これがつまり マルクス・レーニン主義というヤツで、ロシアでは帝政が打倒された後に共産党が暴力的に政権を奪って、1922年にソビエト社会主義共和国連邦ができた。

 

一方、労働運動と普通選挙によって平等な社会を作ることを目指すのは、社会民主主義と呼ばれるようになる。

 

NEXT:マルクス主義vsフェビアン協会 社会主義を巡る百年の闘いの始まり。

 


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