清教徒革命とイギリス共和国の誕生

清教徒革命とイギリス共和国の誕生

オリバー・クロムウエル登場

スコットランド王を兼務するチャールズ1世は、
イングランド国教会による両国の統一を目論んだ。

 

しかし母国スコットランドでは反乱が起こり、
それを鎮圧するための戦費を調達しようと
イングランド議会を招集するが上手くいかない。

 

そこで反対派議員を逮捕しようとしたところ、
その企てがバレて失敗してしまう。

 

この事件をキッカケに
足かけ9年にわたるイングランドに内戦が始る。

 

チャールズ1世を支持する「王党派」は国教会を支持する勢力、
チャールズ1世に反対する「議会派」はカトリックやプロテスタント、
さらに国教会からの分離派など、様々な勢力の連合体であったが、
序盤の戦いは圧倒的に王党派優位で進んでいた。

 

というのも国王軍はよく訓練された傭兵中心の軍隊で、
一方議会派軍は急ごしらえの民兵中心の組織であったため、
明らかに力関係は国王軍の方が上だったからである。

※傭兵(ようへい)…必要に応じて雇い入れられる兵隊のこと。
 当時は常備軍はなく、戦争するごとに兵を集めた。

 

ところがケンブリッジ大学出でジェントリ(小地主)階層から選出された
庶民院議員のオリバー・クロムウエルが組織した鉄騎隊が躍進し、
また議会派の軍の再編成が功を奏した結果、議会軍は徐々に優位になっていく。


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イングランド共和国成立

17世紀のイギリスは、スコットランド鎮圧のために
新課税を目論むチャールズ1世率いる国王軍と
それを良しとしない反国教派の議会軍が衝突。

 

当初は傭兵中心のた国王軍が優位に立ったが、
クロムウエルが鉄騎隊を組織し、
軍を再編成して組織化した結果、
徐々に議会軍が優位に立ち始めた。

 

新しく編成しされたニューモデル・アーミーは組織化が進み、
副司令官に昇進したクロムウエルの活躍などもあって、
1645年についにチャールズ1世を亡命に追いやった。

 

クロムウエルはロンドンに戻ると国王との妥協を図る穏健派と対立するが、
1648年に再決起したチャールズ1世を捕らえて処刑するに至る。

 

そしてイングランド議会を掌握し、翌1649年には、
イギリス初の共和国(コモンウエルス)を成立させる事になる。
つまりこの時点でイギリスは、いったん国王のいない共和制へ移行したわけだ。

 

※共和国(きょうわこく)…国王などの君主がいない国のこと。
※共和制(きょうわせい)…君主を置かない政治体制のこと
ただしコモンウエルスには様々な意味で使われていて必ずしも共和国とはいえない

 

ところが共和制というのは、そんなに甘いものではなく、
クロムウエル結局、軍政を敷かざるを得なくなっていく。

 

NEXT:共和政イギリス、アイルランドを併合


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