第4次中東戦争勃発とオイルショック

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ミュンヘン・オリンピックの翌年、1973年10月、エジプトのサーダート大統領は、シリアのアサド大統領とリビアの指導者カダフィ大佐と連携し、ソ連(ソビエト社会主義人民共和国連邦)から買い入れた最新兵器を使ってイスラエル侵攻を開始した。

 

第4次中東戦争の始まりだ。

 

イスラエルはエジプト・シリア連合軍の奇襲的侵攻に、3日間で400両もの戦車を失い、占領していたシナイ半島のみならずイスラエル本国までアラブ勢力の侵入を許してしまう。

 

その後イスラエルはシリア軍を押し返し、戦争自体は膠着状態に陥るのだが、ここでアラブ諸国側は新しい戦略で、イスラエルに揺さぶりを掛けはじめた。

 

それが「石油価格の値上げと、イスラエルに味方する国への石油の禁輸」だった。

 

石油輸出国機構(OPEC)加盟の産油国のうちペルシャ湾岸の6カ国が原油の公示価格を、一気に70%引き上げると発表した。

 

またアラブ石油輸出国機構(OAPEC)は、イスラエルが占領地から撤退するまで、イスラエルを支持するアメリカやオランダなどへ石油を輸出しないと言う経済制裁を発表した。

 

12月にはさらに石油価格の値上げを発表し、わずか2ヶ月の間に石油価格は4倍に引き上げられた。

 

これがいわゆる「オイルショック」と呼ばれるモノで、中東の安い石油に依存していた先進国の経済は大混乱に陥った。

 


オイルショックと狂乱物価

第4次中東戦争がキッカケで、4倍に値上げされた原油価格。

 

原油は、安価なエネルギーとして、あるいは化学製品の材料として重宝されていた。

 

先進国ではこの安価な原油を大量に使う生活スタイルが定着し始めていた。

 

その原油がたった2ヶ月の間に、4倍にまで値上げされたからたまったもんじゃない。

 

しかもアラブ石油輸出機構が、イスラエルに味方する国には輸出しないと宣言したから、いくらお金を積んでも石油が買えない事態が生じた。

 

おかげで先進国では石油価格が上昇、エネルギーコストも上昇して猛烈なインフレが発生し、日本でも街灯は消されるわ、テレビの放送時間は短縮されるわ、大騒動だった。

 

買い占めによってトイレットペーパーは常に品切れ状態。

 

分厚かったマンガ雑誌は、半分以下の薄っぺらい厚さになった。

 

そこで政府は大型公共事情の殆どを凍結し、消費も低迷したから経済成長もマイナスとなって、日本の高度経済成長が終了した。

 

消費者物価は23%も上昇し、狂乱物価と呼ばれた。

 

オイルショックはイギリス経済にも、大きな影響を与えていた。

 

イギリスは北海油田を持ち、石炭を未だ燃料として使っていたから、物量的にはエネルギー不足に陥ると言うことはなかった。

 

ただしエネルギー価格は高騰し、インフレも進んだから、それをチャンスと見た石炭労組はストに打って出て、ヒース保守党政権を解散総選挙に追い込んだ。

 

一体誰がこの国の統治者なのか?」と1974年初頭に議会を解散したヒース保守党、過半数の議席を獲得できず、自由党との連立交渉にも失敗する。

 

そこで女王エリザベス2世は労働党ウィルソンに組閣の大命を下し、1974年、第2次ウィルソン労働党内閣が発足した。

 

ウィルソンは石炭労組と23%前後の賃上げでストを終結させ、低所得者向けの減税や年金の増額などの措置を実施した後、10月に再度総選挙を行って過半数の議席を確保した。

 

しかしウィルソンは法人税の引き上げや企業課税強化も行ったため、イギリス経済の息の根を止めることになった。

 

というのも行き過ぎた賃上げと企業課税強化で、「企業の利潤率がゼロ」になってしまったのだ。


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