ジェームズ・キャラハン IMFに融資を申請

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1976年初頭、ウィルソン労働党内閣とイギリスの中央銀行であるイングランド銀行は市場介入によるポンド切り下げを画策した。

 

しかし市場介入による市場操作は失敗し、ポンドの暴落を引き起こしてしまった。

 

一方、労働党党首のウィルソン首相は、3月に突然の辞任を発表した。

 

ウィルソンは実はアルツハイマー病を患っており、これ以上、首相としての仕事を続けられない状態だったのだ。

 

ウィルソンの後任には、ウィルソン内閣で、大蔵大臣、内務大臣、外務大臣などを歴任したジェームズ・キャラハンが選ばれた。

 

ジェームズ・キャラハンは、EEC(現在のEC)残留問題などで実績を上げた閣僚であったが、第一次ウィルソン内閣時にポンド防衛に失敗した前科もあった。

 

その経験もあってか、6月にアメリカなどが、緊急融資枠(スタンバイ)設定したたった3ヶ月後の9月にはもうポンド買いによるポンド防衛を諦め、IMF(国際通貨基金)に融資を申請することを労働党大会で発表した。

 

IMFとは貿易取り引きを円滑に進めるため、通貨危機に陥った国に対してドルなどの通貨を貸し出すファンドで、簡単に言うと、自由貿易とアメリカ・ドルを世界中に広げるための組織である。

 

ただし自由貿易とドルを広めるための組織であっても、タダでドルを貸してくれるわけではない。

 

IMFは加盟各国からそれぞれの経済規模に見合った出資金を集め、それを融資する仕組みであり、野放図に融資してくれるわけではないのだ。

 

だからIMFに融資を申請する際には、財政支出の削減計画とその実行を約束しなくてはならない。

 

通貨が暴落する背景には政府の放漫財政があり、政府や中央銀行がお金を垂れ流しているから通貨が暴落する。

 

過去のハイパーインフレは、ことごとくそういう形で起こっていたので、財政規律を正さないとダメだというのがIMFの言い分だ。

 

なのでキャラハン労働党内閣は、IMF融資の条件として、77年からの2年間、約30億ドルの財政赤字の削減を約束した。

 

しかし不況の時に財政支出を減らしたらどうなるかは、火を見るよりも明らかだった。

 


財政赤字削減

1977年から2年間、約30億ドル分の財政赤字削減を約束してポンド暴落をようやく止めたイギリス。

 

これにより、ウィルソン労働党が、74年の選挙時に掲げていた公約は、ほとんど全て撤回されることになった。

 

法人税の引き上げや企業課税強化も、税引き後の利益がゼロになって投資が途絶えてしまう事態に至ったため、企業減税が行われて撤回された。

 

黒字企業を国営企業庁の傘下に入れ、経済活性化の柱にするという公約も、経営危機に陥っていたロールスロイスなどの企業と、採算の取れない宇宙産業を国有化するだけに終わってしまった。

 

そして公約撤回以上にキャラハン労働党内閣に重くのしかかったのはポンド切り下げ失敗によるポンド暴落だった。

 

というのもIMFからの条件である30億ドルの財政削減は、公共部門への財政支出を減らすことで行われたから、新しい学校や病院などの公共施設の建設計画が延期されてしまったのだ。

 

失業者が増え続けていて失業給付を減らすわけにも行かないので、先延ばしできる投資的支出は抑えられ、公務員の賃上げも抑えられた。

 

投資不足で苦しんでいるのに、財政投資まで制限するとなると、イギリスの景気が良くなくなる要因は全くなくなる。

 

そして20%を越えるインフレを退治するために、賃上げの上限を定めた労働党の「社会契約」も破綻し、公務員の労働組合が激しいストを始めたために、国民の不満は一気に高まった。


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