労働党、小選挙区制を制して政権奪取成功

労働党、小選挙区制を制して政権奪取成功

なぜ労働党だけが議席を伸ばせたのかな

1900年に労働代表委員会として
スタートしたイギリス労働党。

 

1906年にはケア・ハーディ議長の下、
労働党と改称して29議席を獲得する。

 

ハーディが後進に道を譲って引退したあとも、
労働党は着実に議席を増やし、
1924年には151議席を獲得して、
自由党との連立で政権を担当するまでに成長する。

 

さらに1929年には第一党にまで上り詰め、
労働党改称後わずか23年で
イギリスを代表する政党にまで成長する。

 

もちろん、労働者が爆発的に増えている時代であることも
考慮に入れる必要があるだろう。

 

100年の間に選挙法改正が何度か行われ、
そのたびに労働者階級の有権者が増えたから、
労働者の要求に応える政党が議席を伸ばしても不思議はない。

 

だが労働者の支持を集めようと様々な左翼政党が生まれ、
たくさんの候補者を立てていたのにもかかわらず、
結果としてイギリス国民の支持を集めた左派政党は
労働党だけであり、他はなかったのだ。

 

さらに労働党は自由党と入れ替わるようにして
二大政党の片翼を担うまでになったわけだが、
労働党はなぜそんなに国民の支持を集められたのか。

 

単に労働者のための政党だから、ということであれば、
別に労働党でなくても良いはずだし。

 

労働党はなぜこんなに短期間に政権を奪取することができ、
そしてそのあとなぜ国民から見放されてしまったのか、
それをこれから考えていくことにしよう。



労働党議席数の推移

イギリス労働党は結党以来、
議席を伸ばしていった。

 

以下は第二次世界大戦終戦までの
イギリス下院選挙の推移だ。

 

2人→29人→40人→57人→142人→191人→151人
→287人(第一党)→46人→154人→393人(安定過半数)。

 

つまり労働党は、大政党が有利と言われる小選挙区制で
わずか30年弱で第一党に躍り出て、
第二次世界大戦終戦の1945年の総選挙にはついに、
単独で安定化半数の議席を獲得してしまったんだね。

 

ところが労働党が実際に政権を担当するようになって、
徐々に社会主義の矛盾が明らかになっていく。

 

後半はその辺りを中心に見ていくことにする。

 

労働党議席数の推移(第二次世界大戦まで)
選挙年保守党%議席自由党%議席労働党%議席数総定員数
1900年50.2 40245.0 1831.3 2670
1906年43.4 15648.9 3974.8 29670
1910年46.8 27243.5 2747.0 40670
1918年※連立派47.1 47413.0 3620.8 57707
1922年38.5 34418.9 6229.7 142615
1923年38.0 25829.7 19130.7 191615
1924年46.8 41217.8 4033.3 151615
1929年38.1 26023.6 5937.1 287615
1931年55.0 4706.5 3229.4 46615
1935年47.8 3876.7 2138.0 154615
1945年36.2 1979.0 1248.0 393640

※1918年から男子普通選挙実施、女子の一部も有権者に加わり有権者が4倍になる。
第一次世界大戦戦時連立派が474議席を獲得。

 

NEXT:第一次世界大戦で、普通選挙実施

スポンサードリンク

このエントリーをはてなブックマークに追加