権利の章典で立憲君主制

権利の章典で立憲君主制

権利の章典

プロテスタントの国イングランドの王に、カトリック教徒でありながら即位してしまったジェームス2世。

 

議会に刺客(オレニエ公ウイレム3世)を送られ這々の体(ほうほうのてい)で家族を連れてフランスに再亡命する。

 

しかしオランダと小競り合いを続けていたカトリック強国フランスのルイ14世はジェームス2世に助力し軍事力を提供する。

 

そしてジェームス2世はスコットランドやアイルランドのカトリック勢力の助けを得て、イングランド王位の復権を狙い始める。

 

一方、ジェームス2世を追放してイングランド王位に就くことになった女王メアリー2世と国王オレンジ公ウィリアム3世は、「臣民の権利と自由を宣言し、王位の継承を定めるための法」に同意する。

 

その内容は、

  • 議会の同意を経ない法律の適用免除・執行停止の禁止。

     

  • 議会の同意なき課税、平時の常備軍の禁止。

     

  • 議会選挙の自由、議会内の発言の自由、国民の請願権の保障。

     

  • 議会を召集すること。

     

  • 国民の請願権、議会における議員の免責特権、人身の自由に関する諸規定。

     

  • 王位継承者からカトリック教徒を排除すること。

     

というもので、これを「権利の章典」と呼ぶ。

 

この権利の章典によって、イギリスは王政から立憲君主制へと移行して行き、国王は「君臨すれども統治せず」の大原則が打ち立てられることになる。

 



太っちょ女王アン、初代グレートブリテン王国君主となる。

名誉革命によってイングランドとスコットランドの王位に就いたメアリー2世とウィリアム3世。

 

イギリスでは無血革命であったが、その後、ジェームス2世を支持するスコットランドやアイルランドのジャコバイト(ジェームス2世支持派)勢力と戦い続け、これを退けることに成功する。

 

またオランダ統領を兼ねるウィリアム3世は、ヨーロッパの覇権を狙うフランスのルイ14世との戦いに備えて、イングランド、オランダ、オーストリアでこれを抑えようとしていた。

 

というのも当時の世界帝国スペインの王家には跡継ぎがおらず、だれが跡継ぎになるかでヨーロッパの勢力図がガラッと変わるのが明らかだったからである。

 

ウィリアム3世はフランスとスペインが同君連合となることを危惧し、スペイン継承戦争の準備を事前に始めていたが、戦争が始る前にメアリー2世が死に、ウィリアム3世も死んでしまう。

 

その跡を継いだのは、メアリー2世の妹であるアン王女であった。

 

女王アンを君主とするイギリスはスペイン継承戦争で一定の成果を得て、フランスのルイ14世との戦いを有利なままで終結させることに成功。

 

また100年続いたスコットランドとの同君連合を解消し、スコットランドをイングランドと合同させ、グレートブリテン統一を正式に果たす。

 

女王アンはブランデー好きで、別名ブランデー・ナンといい、晩年はもう太ってしまって御輿で担がれて移動したというが、イギリス君主として拒否権を発動した最後の王としても知られている。

 

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