700年の歴史を持つイギリス議会

産業革命による発展と人口増は、イギリスの政治にも、大きな変化をもたらした。

 

それが選挙権の拡大と、選挙公約マニフェストの誕生だ。

 

繰り返しになるが、ここでイギリス議会の歴史を振り返ってみよう。

 

イギリス議会の誕生は11世紀の、ノルマンディー公ウイリアム時代のキュリア・レジス(貴族会議)に起源があるとされる。

 

当時は国王と聖職者、貴族だけの会議で、要するに仲間内の打ち合わせ会のようなものであった。

 

しかし1215年のマグナカルタ成立により、国王が新しい税金を集めるには諮問会議の開催が義務づけられ、ここから議会の原形ができはじめた。

 

そしてヘンリー3世の治世には、失政が続いたヘンリー3世の王権制限と、国政監督のための機関の設置(オックスフォード条項)の実行を求め、シモン・ド・モンフォールの乱(第二次バロン戦争 1263年)が起こった。

 

モンフォールは各州から平民身分である騎士と都市の代表(市民)を集め、いわゆるド・モンフォールの議会を開催した。

 

ただしシモン・ド・モンフォールの議会は、議員の選出がやっつけ仕事で正統性がなかったため、エドワード1世がそれを改良した模範議会(1295年)を開いた。

 

このド・モンフォールの議会と模範議会がイギリス議会の始まりであり、イギリス議会は700年の歴史を持つというわけだ。

 



ロバート・ピール、増えた有権者に向けてマニフェストを作る

議会制民主主義の元祖のイギリス議会。

 

14世紀のエドワード3世の頃には、貴族の会議と騎士や市民代表の会議が別会場で開かれるようになり、これが貴族院(上院)と庶民院(下院)へ発展した。

 

18世紀の南海バブル事件を経て、ウォルポールが下院の優越を勝ち取った。

 

南海バブル崩壊で政界も大混乱またクロムウエルの共和政(1649年)のあと、カトリックに改宗したジェームス2世を王位と認めるかどうかで大議論になった。

 

ここでトーリーとホイッグという二大グループが誕生し、これが後の保守党と自由党に発展していく。

 

これがイギリスの二大政党の起源であるが、当時はまだ政党として統一見解などをとりまとめることはなかった。

 

ところが18〜19世紀の産業革命により、新興都市や中産階級が誕生し、農場や工場の経営者といった有力者が登場してくると、有権者の数もケタ違いに増えた。

 

というのも商業や貿易を重視するホイッグ党(自由党)は、新興都市に議席を割り当てることを提案し、産業革命で力を持ち始めた中産階級も、発言力を得るために選挙権拡大を働きかけた。

 

その結果、1832年の選挙制度改革では、新興都市にも議席が割り当てられ、有権者も中小商店主レベルまで拡げられた。

 

こうして有権者が大きく増えたため、トーリー党の実力者ロバート・ピールは、自分の選挙区の有権者に向けてタムワース・マニフェストを発表し、トーリー・グループの主張と政策を選挙区の有権者に訴えた。

 

翌年にはそれがトーリー党の綱領となり、トーリー党は保守党へと変わっていった。

 

これが選挙公約の始まりであり、マニフェストの起源だ。

 

しかしロバート・ピールは自由で現実的な考えを持っていたために、ピール派は次第に保守党の主流派と距離を置くようになり、後に保守党を出て、ホイッグ党に合流して自由党を作ることになる。

 

保守党も自由党も、実はロバート・ピールが誕生に関わっていたんだね。

 

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