不満の冬 鉄道も学校も、病院すらも休業

更新日:

1979年1月の「行動の日」は、50年ぶりのゼネストとなった。

 

TGWU(運送業労組)は1月3日からタンクローリィの運転手のストを指令し、ガソリンも灯油も無くなった。

 

また運輸倉庫業労働者にもストの指令を出したため、イギリスの陸運の80%がストップした。

 

TGWUの活動家は、モノを運ぼうとするトラックを妨害し、港湾や石油精製施設、道路にもピケットラインを張り、物流を徹底的に止めるという戦術に出たのだ。

 

そのためイギリス全土の物流はTGWUの手に落ち、100万人以上の労働者が一時帰休に追い込まれ、工場生産も止まってしまった。

 

このため、保守党の党首となっていたマーガレット・サッチャーは、「なぜ彼らに道路を封鎖する権利があるのか」と憤った。

 

鉄道も止まってしまい、救急車や看護師や病院の補助スタッフもストに参加したので開店休業状態。

 

またゴミ収集の作業員もストを始めたため、地方自治体は公営の公園をゴミ置き場にせねばならず、ロンドンのウエストエンドには、ゴミがうずたかく積み上げられた。

 

ゴミが処分されずに放置されたままのため、ネズミが集まってきて、きわめて不衛生な状態になった。

 

またリバプールでは墓掘り人がストを始めたため、埋葬予定の死体がどんどん溜まっていき、このままでは遺体を海に捨てざるを得ないと言う状況になった。

 

これらのストは、2月の下旬まで続いたが、イギリス国民は寒さと怒りに震え、この冬を「不満の冬」と呼んだ。

 


労働組合の暴挙で、支持を失い始める労働党

1978-79年の冬、大規模なストがイギリス全土を覆い、イギリスは1ヶ月に渡って経済活動が麻痺した。

 

ガソリンや灯油もなくなり、鉄道も止まった。

 

給食のおばさんなどもストに参加したため、学校も休校に追い込まれた。

 

無料医療を誇る国営病院も、看護師や補助スタッフがストに参加したため、半分の病院が、緊急患者にしか対応できなくなった。

 

そして急患を運ぶ救急車の運転手もストを始めたため、半分の病院が開店休業の状態になった。

 

一方、ゴミ収集の作業員もストを始めたため、ロンドンもゴミだらけになり、ネズミが走り回った。

 

1978年にストで失われた労働時間は、のべ930万日であったが、1979年には2947万日に達した。

 

つまり前年の3倍もストのために経済が止まっていたことになる。

 

イギリス国民は寒さと怒りに震え、この冬を「不満の冬」と呼んだ。

 

「不満の冬」というのはシェークスピアの「リチャード3世(の悲劇)」という劇の冒頭に出てくるセリフだそうだ。

 

そしてキャラハン労働党の支持率も、78年1月には保守党を5%上回っていたものの、79年1月には保守党に逆転されてしまう。

 

というのも保守党・党首のマーガレット・サッチャーが、第二次世界大戦後の労使協調体制はもはや終わったとしてローリィ・ドライバーのストのさなかに、労働組合の力を大幅に制限する案を提案したのだ。

 

その結果、1月の調査で7%であった支持率の差は、2月の調査では保守党の支持率が労働党を20%も上回ることになった。


スポンサーリンク

Twitter
Facebook
LINE
はてな
ポケット



売れてます