デモクラシーとは「民衆による統治」

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デモクラシーというのは今までレトリック、すなわち言葉の飾りとして用いられてきた。

 

デモクラシーとはギリシャ語のデモス(民衆、群衆)とクラトス(支配)という言葉をつなぎ合わせたものであって、「民衆による政治・統治」という、漠然とした意味しかない言葉だったのだ。

 

その結果、軍事独裁政権であっても、共産主義独裁政権であっても、統治者が王侯貴族でないというだけで勝手に「●●デモクラシー」と呼ぶことが出来たという。

 

王侯貴族でないモノが統治者になると言うことは、人民の強い支持がないと出来ないことである。

 

だから王侯貴族を追放した軍は人民に支持されたと解釈してデモクラシーであると宣言した。

 

同じ理由で共産党も武力で政権を取り、新民主主義革命・デモクラシーであると宣言した。

 

要するに、人民の支持で出来た政権ならば、何でも「デモクラシー」ってことで、王侯貴族を追放して政権を取った時点で、デモクラシーは達成できたというのが彼らの主張って事らしい。

 

なのでこれらの独裁政権は、政権樹立がなされるやいなや、「デモクラシー」などそっちのけで独裁政治を始めることになる。

 

つまり自由だとか人権か全然無くても、デモクラシーと言おうと思えば言えたって事だね。

 


デモクラシーを叫びながら、人民を弾圧するワケは?

デモクラシーとは言葉上の意味では、「民衆による統治」という意味しかない。

 

だから民衆の一部が立ち上がって政権を武力で奪えば、それでデモクラシーが完成。

 

そういうことで軍事独裁政権も、共産党独裁政権もデモクラシーを宣言する。

 

ところがそれならば、別のデモス(民衆)が立ち上がって、政権を奪取してもデモクラシーであるから、いったん政権を奪取した軍事政権や共産党政権は、新たなデモクラシーが誕生しないように徹底的に弾圧を加え始めることになる。

 

というのも軍事政権や共産党は、富を生み出す生産主体ではないからだ。

 

彼らは経済を発展させる主体ではなく、一方的に消費をするだけの国民搾取主体であるから、政権を取った後は国民を何が何でも自分の支配下に置いて国民搾取をしないと組織が維持できないのだ。

 

なので物理的な武力を背景に、独占した国民を囲い込むために、新たなデモスの登場を片っ端から潰して回るということになる。

 

そして権力は軍事政権や共産党の内部で受け渡され、国民独占利権の独占体制を崩さないように図る。

 

デモクラシーを叫びつつ政権を獲得したら、他のデモスを弾圧して国民を統治するわけだから、彼らにとってデモクラシーというのは、単なる道具であり、信念ですらないってことらしいね。


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