軍事費を削減しようと思ったら…
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マーガレットは、物事を白か黒で判断する性格であった。
父親からピューリタン的な教育を受け、勤勉と質素が世の中で一番の美徳だという価値観を持ち続けていたらしい。
また目的を達成する執念を持っており、目的達成のためには妥協することがなかった。
そのためマーガレットは首相の座についても一切の妥協をせず、気に入らない公務員はバッタバッタと首にしまくった。
そして財政赤字の垂れ流しを止めるため、財政支出の3分の2を占める、教育・保険・軍事の3部門の予算を抑制した。
サッチャーは秩序維持のため、警官や軍人の給料を引き上げたが、それ以外の公務員の給料は据え置いた。
軍事費の削減も検討し、核武装を充実させる替わりに、コストがかかる通常戦力を削減した。
そこで金食い虫である三隻の空母を売却することになったのだが、それをチャンスと見たのか、アルゼンチンがフォークランド諸島の領有を宣言し、軍隊を送ってフォークランドを占領してしまった。
フォークランドはイギリスにとってさほど価値のない領土であったが、武力による領土の獲得は国際秩序の破壊である。
なのでサッチャーは領土防衛のために直ちに派遣部隊を編成し、ハリアー戦闘機などを搭載した空母2隻と機動部隊を派遣した。
政治的にもEC諸国やアメリカの賛同を得て、多くの艦船を失ったモノのフォークランド諸島を奪い返した。
この素早く断固たる行動に、イギリス国民は喝采を送り、サッチャーは一躍、国民的英雄になった。
フォークランド紛争勝利で、沸き立つイギリス
第一次サッチャー政権は、インフレ退治と財政赤字削減のため、金利を上げ、財政支出も抑制した。
そのために政府頼みだった中小企業を山ほど倒産させ、製造業を中心に大量の失業者を出していた。
キャラハン労働党内閣時には、100万人の失業者がいたが、360万人まで失業者が増えていた。
日本の消費税にあたるVAT(付加価値税)も、標準税率を8%から15%に引き上げたが、失業者の急増で失業給付が膨大になったため、財政赤字も大して減ったわけではなかった。
ただ、インフレ抑制には成功し、第二次オイルショック(78-79)で一時的に跳ね上がったインフレ率も80年(16.3%)→81年(11.2%)→82年(8.7%)→83年(4.8%)と言う風に、次第に下がっていった。
だから1982年にアルゼンチンがフォークランド諸島を占領せず、サッチャーが断固たる決意でこれに立ち向かわなければ、サッチャーの評価は「インフレを退治した」と言うだけに終わったかも知れない。
しかしフォークランド紛争に毅然とした態度で対応したことで、サッチャーは国民的支持を得て、次の選挙でも大勝を収めることになった。
そして彼女の次なるターゲットは、時代遅れになった炭坑の閉鎖と、最凶の労働組合である炭坑労組との対決であった。
選挙に敗北した労働党は、左右の派閥闘争が激化し、右派が分裂して社会民主党を結成し、大きく支持率を落としていた。
しかし1974年に保守党のヒース政権を退陣に追い込んだ炭坑労組は、スカーギル委員長を先頭に未だ健在で、最も手強い相手だったのだ。