イギリスの医療崩壊とブレア政権のNHS改革
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イギリスの医療サービスを担っているのは、無料の国民保健センター(NHS)である。
NHSは国営の医療サービスであり、150万人もの従業員を擁する大組織で医療サービスをほぼ独占する利権団体でもあった。
そのため競争原理が働かず、雇用確保と賃上げを優先したため、設備の更新が先送りにされて老朽化し、年を経るごとにサービスの質が落ちていた。
そして労働党政権下の1978年のゼネスト「不満の冬」では、看護師や補助スタッフに加え、救急車の運転手までストに参加したため、病院も通常診療や手術ができない状態に陥った。
さらにサッチャー政権時代の財政赤字削減と予算の抑制で、医師や看護婦などの昇給や増員を抑えたために、病院スタッフがNHSを辞めて私立の病院などに流れてしまった。
そのためイギリスの医療サービスは、先進国としては希に見るほど悪くなってしまい、予約を取るだけでも何日も待たされ、診療は半年後、手術は2年待ちになるなんて事態に陥っていた。
そこでサッチャー政権では、NHSの病院を「トラスト病院」に改変して、競争原理を取り入れてみたが状況は改善されなかった。
政権末期には、選挙対策も兼ねて、医師や補助スタッフの賃上げも行ってみたが、やはりダメだった。
1997年にブレア政権が誕生した後も状況はあまり改善せず、その結果、2000年から10年かけて、抜本的なNHS改革(NHSプラン)を行うことになった。
ブレア労働党内閣によるNHSプランの内容は、
- 医療予算の増額、対GDP比をEU平均レベルまで引き上げ
- 医療への国家基準を策定、医療サービスを評価するNICEの設立
- 末端組織への権限移譲、医師以外の医療従事者の権限拡大
- 医療機関の競争を促進。
民間企業のトラスト病院などへの参入を促進
- 公務員だったGP医を契約制に変更
- ガン、心臓疾患、精神疾患の治療に対する政府目標を作成し、達成度を評価。
PCT(プライマリ・ケア・トラスト)制度で、責任を明確化する
ブレア政権発足時の医療予算は、対GDPで6.8%であった。
ブレア政権ではこれをEU諸国の平均水準である8%まで段階的に引き上げることを約束した。
また医師・看護師不足を解消するため海外からも医師や看護師を雇い入れ、医学部などの定員も大幅に増やした。
さらにPCT(プライマリ・ケア・トラスト)を設立し、地域医療に責任を持つ制度を導入した。
PCTとは、医療サービスに関わる権限や裁量権を中央から地域に移し、地域コミュニティによって医療システムを運営するための仕組みだ。
ブレア政権では、PCT制度によって、地域間格差や階級間格差を減らす一方で、病院などの経営責任の明確化を行い、競争と牽制が効くシステム構築を目指したのだ。
大まかな仕組みとして、NHS予算の8割は全国のPCTに配分され、各地域のPCTは受け持ち地域のGP医や専門医、そして病院などの医療施設に予算を配分する。
地域PCTやGP医が国からもらう予算は、受け持ち地域の人口に比例した金額であり、その中でやりくりして地域の医療サービスを提供するのだ。
なのでPCTの経営や予算配分がマズくて赤字になったり、診療などに遅れが生じると、PCT幹部が非難を受け責任を取る。
そしてブレア労働党は、全国のPCTから患者の診療待機日数や、緊急医療の診察までの時間短縮目標を提出させ、進捗状況を毎月報告させて、それを国民に報告した。
2004年からの第2ステージでは、PCTの制度を全国に広め、地域住民が医療を監視できるシステムを導入した。
PCTはイングランドを303の地域に分けて設置されたが、2006年には、152に整理統合された。
因みに1つのPCTの受け持ちは、33万人前後となっていて、その中に国営のNHSトラスト病院が1つあるといった感じだ。