トーリーデモクラシー

自由党グラッドストン政権は5年続き、内政面では十分な業績を挙げた。

 

しかし外政ではあまり大した業績は上げられなかった。

 

というのも早くから義務教育制度を敷き、強い国民を作り上げつつあったプロイセンが、オーストリアやフランスとの戦争に勝利し強大な勢力となりつつあったのだ。

 

またロシアが影響力を増し、黒海まで勢力を伸ばし、地中海のイギリスの利権が徐々に削られていたのだ。

 

そこで保守党のディズレーリはグラッドストンの外政問題を集中的に批判し、多くの有権者の支持を集めることに成功した。

 

そうして総選挙で勝利して5年ぶりに首相に返り咲いた。

 

1875年からの第二次ディズレーリ内閣は、保守党の安定多数を確保してのスタートになり、少数与党でほとんど何もできなかった5年前とは違ってディズレーリは思う存分自分の政策を実現に移すことができた。

 

ディズレーリは、新しい有権者である労働社会階級を保守党支持に取り込むために、労働者寄りの政策を進めた。

 

住宅改善のためにスラムを整理し、国の資金を貸して労働者の住宅を造った。

 

街の公衆衛生をよくするために、山ほどあった衛生に関する法律をまとめて基本法を作った。

 

労働組合法に関しても、グラッドストンの作った法律の穴(スト破りの容認)をふさぎ、労働者に有利な法律に改めた。

 

ディズレーリの政策は、あまりにも労働者にすり寄った政策で露骨であったため、グラッドストンは「トーリー・デモクラシー」と呼んで、これらの政策を非難した。

 



自助の精神か、労働者の保護か

ディズレーリの露骨な新有権者よりの政策を、グラッドストンはトーリー・デモクラシーと呼んで、激しく非難した。

 

トーリーというのは元々「アイルランドの追いはぎ」という悪口だし、デモクラシーも当時はあまり良くないものでトーリーデモクラシーは、ひどい悪口だったらしい。

 

グラッドストンは、国の繁栄は国民の「自助の精神」にかかっており、労働者を甘やかすような政策は、国を滅ぼすものだと考えていたらしい。

 

労働者が優遇されすぎることによって、自助の精神を失って政治や金持ちに依存するようになったら、イングランドは近い将来、堕落して惨めな国になってしまう。

 

そう考えてグラッドストンは、労働組合の結成は容認したが、スト権に関してはピケッティング(スト破り防止行為)を禁止し、ストが骨抜きになるような条項を労働組合法に入れていた。

 

ピケッティングというのは、労働組合が工場や事務所の前にバリケードなどを築き、経営者や他の従業員が中に入って仕事できないようにして、要求を認めさせようとする行為だ。

 

ピケッティングは物理的に工場や事務所を閉鎖するから、たいてい暴力的な揉み合いが起こるし、方針の食い違いによる組合員同士のケンカも頻発する。

 

こういう状況が起こるのをグラッドストンは良しとしなかった。

 

しかしディズレーリは、労働者受けを狙ってか、ピケッティングを許可するように法律を改正し、労働者は脱落者無くストによって要求を貫徹できるようになった。

 

このことが実はこのあとの百年間、イギリス政治に大きな影響を及ぼすことになる。

 

というのも大きな法的力を得た労働組合組織が、自らの利益のために国を引っかき回し始めるのだ。

 

過激化した労働組合問題は、百年後、同じ保守党の首相 マーガレット・サッチャーによってようやくケリが付くことになる。


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