産業革命とロンドンの人口爆発
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イギリス労働党誕生の百年前、つまり19世紀のイギリスは、人口爆発の時代だった。
イギリスの産業革命は、1760年代から1830年代の70年間に起こったとされているが、それに先立つ数十年に渡る農業革命で、農業生産が増えて人口が急増したのだ。
ロンドンの人口が、どのように増えたのか、ターシャス・チャンドラーの推計で見てみよう。
大ロンドンの人口は、1600年には18.7万人ほどだったモノが、1700年には55万人に増え、1800年には80万人と4倍に増えた。
さらに1850年には232万人、1900年には650万人まで急膨張した。
つまり300年で、人口が35倍にもなっていて、グラフを作ってみてもとんでもない増加率だ。
(現在は約830万人)この急激に増えた人口が、イギリスの社会や議会に、大きな変化をもたらすことになる。
労働者階級の台頭だ。
グレーター・ロンドン(大ロンドン)の人口推移
ロンドンの人口の推移(1600年以降)
西暦 | 1600年 | 1650年 | 1700年 | 1750年 | 1800年 | 1850年 | 1900年 |
ロンドン | 187,000 | 410,000 | 550,000 | 676,000 | 861,000 | 2,320,000 | 6,480,000 |
江戸 | 60,000 | 500,000 | 688,000 | 694,000 | 685,000 | 780,000 | 1,497,000 |
北京 | 706,000 | 470,000 | 650,000 | 900,000 | 1,100,000 | 1,648,000 | 1,100,000 |
ラッダイト運動とロバート・オウエン
農業革命と産業革命によって、人口が急増した19世紀のイギリス。
首都のロンドンの人口は、1800年には86万人に達し、50年後の1850年には、230万人。
さらに50年後の1900年には650万人弱まで大爆発した。
増えた人口のほとんどは労働者であり、労働者人口は巨大な階層に成長したわけだ。
そして労働者人口の爆発的増加によって、イギリス各地では様々な事件が起こり、経営者と労働者の衝突も頻発した。
たとえば1810年代のランカシャー地方では、機械化による失業を怖れた手工業者が、織物機械を破壊するという「ラッダイト運動」が流行った。
ノッティンガムのネッド・ラッドという人物が、靴下製造器を破壊したといううわさが広まり、それを真似した機械破壊運動が各地に広まったのだ。
機械を破壊するのは経営者に不満を持つ労働者たちで、機械破壊は死罪という法律があるにもかかわらず、各地で機械の破壊活動は続き、実際に死罪になった者もいた。
ラッダイト運動自体は1810年代後半には沈静化するが、労働者の待遇改善や地位向上運動はさらに発展し、選挙権拡大や普通選挙実施を求める運動に発展していった。
一方、経営者側からも、労働条件に対する規制を唱えるモノが現れた。
それがウエールズ出身の実業家 ロバート・オウエンで、幼児や女性を酷使する工場経営者に対する規制が必要だと考え、工場法による就業規則制定に尽力した。