食料品店の娘、オックスフォードへ行く
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マーガレットは、地方の食料品店経営者アルフレッド・ロバーツの次女として生まれた。
マーガレットの祖父は靴職人であり、マーガレットの父アルフレッドは、13歳で食料品店に奉公に出たあと独立し、二軒の食料品店を経営していた。
「イギリス近代史講義」(川北稔)によると、当時のイギリスの労働階級の子供は14歳くらいになると男の子のも女の子も他家に奉公に出るのが普通だったらしい。
そうして7年以上奉公を勤め上げたあと、独立して市民権を得て、20代の後半に結婚する。
それがイギリスの普通の市民の生き方であったらしい。
だからマーガレットの父が13歳で奉公に出たのは、イギリスではごく普通のことであり、独立して店を持つのも特に珍しいことでもなかった。
しかしアルフレッド・ロバーツは食料品店で奉公しながらも、メソジスト教会で身を修め、読書で教養を身につけた。
そして奉公が終わって自分の店を持つと、努力を惜しまず贅沢もせずに商売に没頭したから、店は繁盛し、支店を出すまでになった。
人望も厚く、後にグランサム市長を務めるような名士となった。
マーガレットはそんな父のために子供の頃よく、図書館から新刊本を借りてきてあげたりしていたという。
そしてマーガレットは地元の小学校を卒業すると、奨学金を得て女子校に進み、そこで主席となった。
その後、化学を学ぶために大学の試験を受け、補欠合格ながらオックスフォード大学に進学した。
マーガレット・ロバーツ ハイエクに傾倒する
オックスフォード大学に進学し、化学を学んだマーガレット・ロバーツ。
大学ではX線構造解析の研究を行い1947年に大学を卒業した後はBXプラスティック社に就職し、化学研究員として働いていた。
BXプラスティック社でマーガレットは、アイスクリームに空気を混ぜて舌触りをよくする技術の研究に参加していたという。
ところが1948年に大卒保守党協会の代表として、保守党の地域組織に加入したところから、彼女の運命は大きく変わり始めることになる。
マーガレットはオックスフォード大学在学時に、後にノーベル経済学賞を受賞する思想家フリードリッヒ・フォン・ハイエクの研究に感銘を受け、オックスフォード大学保守党協会に参加していたのだ。
当時、ハイエクはフェビアン協会のシドニー・ウェッブが設立した、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)で教授職に就いており、18年に渡りLSEの社会主義研究者や、ケンブリッジ大学のケインズと議論を戦わせていた。
そして1944に発表したベストセラー「隷属への道」では、社会主義や共産主義がファシズムやナチズムと同根で、人間の自由を侵すひどいものだと主張していた。
ハイエクは個人の自由を最重要視するリバタリアンに分類されるが、彼らは下院議員でケンブリッジ大学教授のジョン・アクトン卿の名言、「権力は腐敗する、絶対権力は絶対的に腐敗する」(Power tends to corrupt, and absolute power corrupts absolutely.)を信じ、一部のエリートによる計画経済や国民支配は、国民に幸福をもたらすものではないと警鐘を鳴らし続けていたのだ。