市民兵から傭兵へ
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カルタゴの軍神ハンニバルをどうにかこうにか撃退したローマ。
ところがこの勝利から実は共和政ローマの崩壊が始まっていく。
というのもハンニバルがイタリア半島を荒らし回ったせいで、農地はグチャグチャ、貴族も4分の1が死亡。
そこで台頭してきたのが、戦争で属州化した土地の利権を持つ貴族たちである。
属州というのは、ある程度の自治を認めるという名目の統治で正式な課税も大したことがなかったのだが、実際に派遣された総督は激しい収奪や搾取を行い、ローマの貴族に貢ぎだしたから大変。
これによって総督の任命権を持つ貴族は大富豪となり、ローマ市民の多数を占める自由農民は没落しだした。
というのも農民は荒れてしまった農地から離れて戦い続けなくてはいけない状態が続き、どんどん資産をすり減らしていったからだ。
戦いの主力である市民の没落は戦力の低下につながるので、護民官のグラックス兄弟が改革に乗り出したが、残念ながら二人とも暗殺されてしまう。
これに危機感を覚えたローマ市民は、平民階層のマリウスをコンスルに据えて軍政改革に乗り出す。
すなわち志願兵・傭兵制度によって軍隊を維持することにしたのだ。
これによって没落した農民は兵士としての職を得たのだが、この傭兵制が今度は軍閥を生むことになっていく。
というのもマリウスの部下であったスッラが貴族派の軍を率いて戦いを挑んできたからだ。
三頭政治から帝政へ
ポエニ戦争終結後のローマでは、度重なる戦争により、自由農民が没落してしまった。
その結果、新しく傭兵で軍隊を作り出したのだが、今度は民衆派(ポプラレス:平民派)のマリウスと、閥族派(オプティマテス:貴族派)のスッラが、それぞれの軍を用いて内戦を始めてしまった。
この戦いはマリウスの病死によって終結するのだが、彼らの死後には寡頭政(かとうせい)が待っていた。
寡頭政というのは複数の実力者が統治を行う政治体制だが、正式なものでなく、私的なものとされる状態だ。
最初の寡頭政はポンペイウス、カエサル、クラッススの3人による三頭政治(トロイカ体制)と呼ばれるモノで、密約である。
元老院に対抗すべく手を組み、ポンペイウス(軍事)、カエサル(人気)、クラッスス(経済力)という棲み分けで、ローマを統治していた。
だがクラッススがまず対外戦争で戦死してしまい、ポンペイウスは元老院と組んでカエサルと敵対して内戦に発展してしまう。
この内戦でポンペイウスは戦死し、カエサルは終身独裁官に就くのだが、共和主義者によって暗殺されてしまい、その後は、オクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥスによる国家再建三人委員会によって、三頭政治が続けられることになる。
そしてオクタウィアヌスはアウグストゥス(尊厳者)という称号を得て、そこからローマは実際上、共和政から帝政へと変わっていくことになった。