共和政ローマの強さの秘密とは

共和政ローマの強さの秘密とは

ローマの共和政移行は、なぜ成功した?

王政から共和政へと移行したローマ。
共和政というのは簡単に言うと
「国王や君主がいない」というだけのことで、
国王や君主の仕事は誰かがやらねばならない。

 

なので国王や君主の仕事を代行する、
コンスルという執政官を2人選出し、
ローマの統治を行うこととなった。

 

コンスルを選ぶ民会は、
ケントゥリア民会(兵民会)というもので、
100人単位の軍団に一票を与え、
国内の193のケントゥリアが票を投じて決める仕組みであった。

 

このため民会はローマ市民の集会であるとともに、
軍団を率いる貴族たちの意向が十分反映する仕組みになった。
というのも193のケントゥリアの半数が、
実質的に貴族票になったからだ。

 

しかしなぜ、共和政ローマが成功したのだろうか?
というのも近代の歴史をみても、王政を廃したあとは、
軍事独裁か共産党独裁の形になるのが普通だから。

 

王政を廃すると、追放された国王を支持する国王派などが
常に王政復古を狙って反撃に出てくるので、
それを抑えるために猛烈な弾圧が始まり、
その結果、独裁体制ができあがってしまうわけだ。

 

ところがローマの場合は、事情が全く違っていた。

 

ローマ王国では国王と貴族の結びつきよりも、
貴族と一般市民との結びつきの方が強かったのだ

 

ローマの貴族や市民の構成は元々のローマ貴族や市民だけでなく、
打ち負かした敵国の貴族や市民を加えた形で構成されていたから、
そりゃそうだろうね。


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ローマが大帝国を築けたわけ

国王を追放して共和政に移行したローマ。
しかし近代の歴史をみると、これが上手くいった試しがない。
大抵の場合は軍事独裁か共産党独裁になってしまう。

 

なのになぜ共和政移行がスムーズに行われたのか。
これは民主主義を考える上でかなり重要な部分だろう。

 

しかしたった数千人のミニ国家だったローマがなぜ、
年を重ねるごとに大きな国になったかを考えればわかる。

 

もともと王政ローマでは、国王は世襲ではなく、
能力のあるものや隣国の賢人を呼んできて
元老院や市民の審査を経て王位に就かせるのが慣例であった。

 

また戦争で打ち負かした敵国の国王は処刑したが、
敵国の市民のみならず貴族までローマに移住させ、
ローマ市民として扱った。

 

経済力にも乏しく技術力も高くなかったローマでは、
そうして他者を取り込むことによって
ジワジワと国力を増すという戦略を採っていたのだ。

 

ギリシャのアテナイも、商人や職人など、
他国からの移住者をドンドン受け入れて大きくなったが、
後に覇権を握る国や組織というのはそういうものらしい。

 

日本の民主党も1996年に結成されてから、
わずか十年ちょっとで政権を獲得するに至ったが、
やはりどんどん他党からの参加者を味方に加えている。

 

そう言う「合流型組織」でリーダーが独裁的な行動を取りだすと、
他の有力メンバーが黙っていない。
寄って集ってリーダーを権力の座から引き離そうとするわけだ。

 

ローマ王国というのも実はそう言う合流型組織であって、
だから国王が自らの独裁体制を作るべく反対派を弾圧し、
元老院にも自分の味方だけ入れるようにしはじめると、
貴族や有力市民の逆鱗に触れて追放されてしまったわけだ。

 

NEXT:ギリシャとローマ、何が違った?

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