ハンニバル、ローマに進軍す。
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イタリア半島を統一した共和政ローマ、さらなる繁栄を求めて、東西の地中海の覇権を求め出す。
東にはマケドニアやペルシャ、西にはカルタゴ。
いずれも強国であり難敵であった。
まずイタリア半島の南にあるシチリア島に勢力を伸ばしていたカルタゴを追い払うことを画策する。
当時のシチリア島はカルタゴ勢力とギリシャ勢力がしのぎを削っていたが、ローマは割って入ってシチリア島を手中にする。
(第一次ポエニ戦争)シチリア島から追い出されたカルタゴは、戦後ローマと不可侵条約を結んで戦争は一端終結する。
カルタゴは、失ったシチリア島の替わりにイベリア半島(スペイン)の植民地化に乗り出す。
これに成功して将軍となったのがハンニバルである。
ハンニバルはイベリア半島を押さえると、今度は9万の兵と象を37頭率いてローマに戦いを挑んだ(第二次ポエニ戦争・ハンニバル戦争)。
イタリアの北にあるアルプス山脈を越えるという思いも寄らなかった作戦を取って北イタリアに侵入し、そこからハンニバルはローマ攻略を始めていった。
そしてローマのコンスルが率いる迎撃軍を次々と打ち破り、その後はイタリア半島各地で戦いを繰り広げる。
その結果、ローマの貴族層の4分の1を死に追いやるが、ローマを直接攻めるだけの兵力の準備が整わなかった。
制海権をローマに握られたままであったため、カルタゴ本国からの兵力の補給が出来ずに、ハンニバルはイタリア半島で孤立してしまったのだ。
ハンニバル戦争で大量の死者発生
アルプス越えという脅威の作戦で、ローマに侵攻したカルタゴのハンニバル。
ところが制海権をローマに握られたままで、ローマの中枢に攻め入ることが出来ない。
ローマは肥沃なシチリア島を手中にしており、しかも海の近くにあったから、補給路を断つのは難しい。
ハンニバルはローマの孤立を狙ってローマ同盟都市の離反を狙うが、意外や意外、ローマの同盟都市が裏切らず、膠着状態に陥った。
そうしているうちに、ローマの大スキピオは、ローマ本土のことは放ったらかしにして、イベリア半島に出兵するという奇策に出る。
スキピオはハンニバル不在のイベリア半島を陥落させてしまい、さらに今度はカルタゴの本国にも兵を進めだした。
これに驚いたカルタゴは、やむを得ずハンニバルに帰国命令を出し、ザマの戦いでローマ軍を迎え撃つことになったが、ハンニバルの戦術はすでにスキピオによって研究しつくされ、結束力の高いローマ軍に破れてしまい、第二次ポエニ戦争は終結した。
その結果、カルタゴは莫大な賠償金をローマに支払うことになったのだが、実力者となったハンニバルが経済の立て直しに成功して、莫大な賠償金をたった数年で支払ってしまう。
これにビックリしたローマは反カルタゴに傾き、カルタゴ殲滅の準備に入る。
一方、強引な手法で経済再建した反動でハンニバルは、反ハンニバル派によって亡命に追いやられて、亡命先のシリアで死ぬ。
これによってローマは西地中海の覇権を握り、さらになんとハンニバルの戦術をも利用して東地中海の覇権も握ってしまうわけだ。
ところがこのポエニ戦争の勝利によって、なんと共和政ローマの屋台骨が揺るぎ始める。