イングランド王ジェームス2世のスキャンダルとは

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17世紀後半のイングランドは、共和制という難しい制度に大混乱し、これに懲りて王政復古を行うことにした。

 

共和制イングランドはたった11年で終わりを迎えイングランドはまた王国に戻ることになった。

 

その王位に就いたチャールズ2世の在位は18年ほどでその間の議会は王党派が主導権を握ることとなり、国内政治は比較的安定した。

 

しかし財政難は相変わらずであり、オランダとの戦争で戦費がかさんだために財政破綻を宣言したりもした。

 

 

この間、中央政府が直接、税金を集める制度が作られたり、消費税を定着させたりして、財政の透明化が行われたりしていたのだが、そんな中で、国王の弟ジェームスにスキャンダルが発生した。

 

というのもジェームスはなんと、フランス亡命中にカトリックに改宗していたのだ。

 

チャールズ2世には庶子(しょし:奥さん以外が産んだ子供)は山ほどいて、たとえば故ダイアナ妃もチャールズ2世の子孫にあたるのだが、妃には子供がいなかった。

 

なので王位を継承できるのは弟のジェームスしかいなかったのだが、それがまさかフランスでカトリックに改宗していたとは!この問題を巡ってイングランド議会はまっぷたつに割れ、トーリー党とホイッグ党という二大政党が誕生することになる。

 


二大政党の誕生

王政復古を果たし安定を取り戻したイングランド。

 

ところが王位継承権を持つヨーク公ジェームスがフランス亡命中にカトリックに改宗していことが発覚する。

 

カトリック教徒を王位継承者として認めるかどうかで、イングランド議会はまっぷたつに分かれる。

 

国王はカトリックでも構わないとした勢力をトーリー党、カトリックの国王はダメだとした勢力をホイッグ党という。

 

※覚え方は「王様の言うトーリー」、「カトリックでホ(ントに)イッグ?」。

 

ホイッグ党はカトリック教徒は継承権から排除するという王位排除法案を議会に3度も提出し下院で可決されることもあった。

 

だがチャールズ2世は、法案が成立しそうになると議会を解散し、その後、死ぬまで議会を再招集しなかったため、ジェームスが王位を継承してジェームス2世を名乗ることになる。

 

議会を招集したり解散したりするのは国王大権といって、国王の重要な権利の一つであったため、それを利用して排除法案の成立を阻止したのだ。

 

そしてプロテスタント教国のイングランドの国王に即位したカトリックを信仰するジェームス2世。

 

しかしやっぱりというか案の定というか、ジェームス2世はカトリック教徒を重用しプロテスタントが多数を占める議会と対立し始める。


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