眠りに就くデモクラシーと共和主義

眠りに就くデモクラシーと共和主義

デモクラシーはなぜ滅んだのか?

古代ギリシャやローマに誕生したデモクラシー

 

デモクラシーというのは
「民衆による統治」という意味で、
一般市民が国家の方針や意志決定に
民衆の参加が必須の統治体制だ。

 

ところが紀元前5世紀頃に誕生した
古代ギリシャやローマのデモクラシーは、
500年ほどで消滅することとなった。

 

デモクラシー誕生と消滅は、なぜ起こったのか。
それは時代の要請に沿うものだったと言うしかない。

 

そもそもデモクラシーは、国防という国家最大の仕事に、
一般市民の参加が欠かせない事から進展した

 

というのも古代ギリシャやローマ王国では、
対外戦争のために、市民の協力が欠かせなかった。

 

なぜなら当時の戦力の主体は市民自身であり、
市民が自前で武器を用意して戦ったからである。

 

もちろんそこには、戦争に負ければ
相手国の奴隷とされると言う恐怖があり、
勝てば農地なり植民地なり奴隷なりを
戦利品として得られるという利益があった。

 

つまり自由市民が自分たちの自由を守るために、
自ら武器を調達し、重装歩兵として戦った。

 

戦争の主体がこういう自由市民であったために、
国王や貴族は、市民の要求を呑まざるを得ず、
その結果デモクラシーというモノが起こったわけだ。



共和主義という新しいデモクラシー

古代ギリシャでは、経済と国防の主役は市民であった。
自由市民が稼ぎ、自由市民が国を守った。

 

だからこそ自由市民が政治に参加する
デモクラシーというものが成立した。

 

ところが徐々に市民階層に二極分化が起こり、
貧困市民に議会手当を支給しなければならなくなった。

 

公務員などの公職も希望者を募って
1年交替でくじ引きを行い職を割り振ったため、
専門的な知識を持たない専門職が増え、
また国家にぶら下がる市民が増えだして
国力がドンドン低下した。

 

そうしてギリシャはマケドニアの支配下に入ってしまい、
その後、デモクラシーでは後輩にあたる
ローマ共和国の一部になってしまうことになる。

 

一方、古代ローマでも重装歩兵の地位が向上し、
ギリシャと同じく自由市民の政治参加が進んだ。

 

慣習法によって行われていた政治も法律を明文化し、
貴族が独善的な政治を行うことに制限が加えられた。

 

トリブス民会(平民会)が選んだ護民官には拒否権が与えられ、
元老院の政策決定に対して拒否権を一度だけ発動できるようにした。

 

また国王の替わりにおかれる2人の行政官の1人は
必ずプレブス(平民階級)から選ばれることになった。

 

しかしローマの版図が拡大し国の規模が大きくなるに連れて、
ローマ市民だけのデモクラシーでは国家運営が難しくなり、
インペリウムと呼ばれる強大な戦時指揮権を持つ終身独裁官(皇帝)によって、
国家運営が行われるように変容していった。

 

そうしてデモクラシーは千年もの眠りにつくことになる。

 

そして再び日の目を見ることになるわけだが、
ここで登場したのが「共和主義」と呼ばれるモノであった。

 

共和主義とはいったい何なのか?

 

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