なぜ勝てなくなったのか?スウィング選挙区の議席の行方

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イギリスの完全小選挙区制というのは、全国の選挙区の過半数で支持を得ないと、国政を担当できないという厳しい仕組みである

 

いくら自党の地盤選挙区でたくさんの得票を得ても、それは一地区での熱狂的支持に過ぎず、国政を担当する資格を得ることができない。

 

そりゃそうだ。

 

いくら特定の地域で熱狂的な支持を集めても、それによって国全体の舵取りを担う権利を与えられたらおかしい。

 

たとえば橋下氏率いる「大阪維新の会」が、総選挙で関西の殆どの票を獲得することによって、国会の過半数の議席が獲得できたらおかしいだろう。

 

国政の担当政党を決めるという点で、完全小選挙区制というのは単純明快だから、世界各国で何らかの形で取り入れられているわけだ。

 

そしてそのイギリスの総選挙の結果を左右するのは、スウィング選挙区と呼ばれる、約250の選挙区であった。

 

イギリスには650の選挙区があるのだが、そのうちの約200選挙区では毎回保守党候補が勝ち、別の約200選挙区では毎回労働党候補者が勝っていた。

 

すなわち約400選挙区が無風区であり、残りの約250は「スウィング・ヴォーター(Swing Voter)」という選挙ごとに支持が変わる有権者が多い「スウィング選挙区」でこれらの選挙区で、いかに多数の議席を獲得するかが総選挙の勝敗を分けていたわけだ。

 

そこで労働党の新党首となったブレアとブラウンらは、なぜスウィング選挙区で勝てなくなったのか調査したのだが、その調査結果を見て愕然とした。

 

というのも彼らがスウィング選挙区だと思っていた選挙区は、すっかり保守党選挙区に変わってしまっていたのだ。

 


小選挙区は、国民政党を要望する

保守党政権に総選挙で4連敗をくらい18年も政権から離れることになった労働党。

 

キノックが党首を辞任し、後任のスミスも急死。

 

新しい党首には41歳の若きホープ、トニー・ブレアが就任した。

 

ブレアはゴードン・ブラウンらと共同で、総選挙の結果を左右するスウィング選挙区でなぜ労働党が支持されなくなったのかを調査し始めた。

 

そして調べてみると、そこには、労働者なのに労働者意識を持たない、新しい階層が誕生していた。

 

彼らは自らの努力で労働スキルを高め、それによって収入を得ていると考える人々で、大した努力もせずにストライキで賃金を上げようとする労働組合のやりかたには辟易していた。

 

言ってみれば、労働者階級出身ながら、努力によって保守党党首になったサッチャーやメージャーに近いタイプの人間で、自らを「労働者」だとは思ってもいない「自由市民」であった。

 

スウィング選挙区では、この自由市民が急速に増えており、彼らは自助努力を尊ぶサッチャーの姿勢に共感し、その一方で労働党は、彼らにすっかり嫌われていた。

 

彼らにとって労働党は「社会改革の党」などでは全くなく、「労働者の既得権益を守る時代遅れの党」でしかなかった。

 

つまりスウィング選挙区だと思っていた選挙区は、実はもうほぼ保守党の選挙区であり、労働党の候補がつけいる隙など無かったのだ。

 

このままでは、労働党が政権を獲得することなど、二度とないのは、誰にでも明らかであった。

 

そしてイギリスも日本のように、保守党(自由民主党)が何十年にも渡って政権を担当する国になってしまうのでは?ということすら言われ始めた。


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