デモクラシーとはバカが賢者を支配する仕組み
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古代ギリシャの哲人プラトンやアリストテレスは、デモクラシーを善くない統治と考えていた。
というのも当時のアテナイでは、アゴラという広場に市民が集まって、民会という直接民主制議会を開いていた。
しかしそれは教養の低い貧乏市民たちが自らの利益のために政治を利用しようという場に堕落していたらしい。
少なくともプラトンやアリストテレスの目にはそういう風にデモクラシーが映っていたということだ。
特にプラトンの場合は、デモクラシーのおかげで師を失っているから、民主政治に対する憎悪は激しかったのかもしれない。
プラトンの師はギリシャの哲人ソクラテスであるが、スパルタと戦ったペロポネソス戦争後にアテナイの裏切り者として公開裁判に掛けられ、殺されてしまうという事態に直面していたのだ。
しかもこの裁判の裁判官は、くじ引きで選ばれた市民が務めていて、今で言う陪審員のようなものであった。
当時のアテナイでは将軍や上級行政官以外の公職は希望者を募ってくじ引きで決めていた。
つまり法律に詳しいわけでもなく裁判に詳しいわけでもない者たちによって師であるソクラテスは死刑を宣告され、そして自ら死を選ぶことになったわけである。
だからプラトンはデモクラシーや民主政治は危険なモノで、知識や知識のある者をさておいて、臆見(おっけん)、つまり無学なバカたちが当てずっぽうで支配する仕組みだと批判したということらしい。
古代ギリシャ人の誇りは自由人であること
アテナイに軍事民主制が誕生したのは当時のギリシア人社会において「自由人であること」が非常に大事な概念であったからだという。
自由人というのは他人の支配を受けない存在のことでペルシャのようにたとえ国がどんなに強大であっても国民が自由を持たないような国はダメだ。
ポリスでは市民は他人からの支配は受けないし、ポリスも他の国家からの支配を受けない。
だからアテナイ市民は自らの自由を守るため、協力一致して戦うために、定期的にアゴラ(広場)に集まって討論を行い、市民全員(といっても成人男性のみだが)で、将軍や行政官を選挙で選ぶようになったということである。
ところがプラトンやアリストテレスが生きた時代は、ギリシャのポリス連合がペルシャ帝国の脅威を退け、アテナイがギリシャ世界の覇権を握ってからすでに100年もたった後の世界であった。
当時のアテナイはペロポネソス戦争でスパルタに敗北し、ドンドン衰退していく過程であった。
デモクラシーも腐敗や衆愚政治と化していた時代である。
だから紀元前4世紀という、今から2400年も前にすでに彼らはデモクラシーのあり方に疑問を呈し、アテナイが衰退した原因をデモクラシーに求めていた。
「やっぱ官職をコロコロ変えていたらダメなんじゃないか?」そこでアリストテレスは、貴族政と民主制が互いに補完するような政治体制をポリティアと呼び多数が支配する善き統治として考えたと言うことらしい。