土地神話はなぜできたのか?
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需要が大きい(買いたい人が多い)モノの価格は上がり、需要がない(買いたい人が少ない)モノの価格は下がる。
これが経済学の基本的な考えである。
そして土地や不動産の地代や値段というのは、その土地や不動産で儲けられる金額によって決まる。
たとえばある駅前の土地で店を開いたら、少なくとも年間1,000万円の利益が見込める。
それならこの土地の持ち主は、いくらだったらこの土地を貸すだろうか?いくらだったらこの土地を売るだろうか?その目安は年間1,000万円の利益だから、貸すときは月100万前後、売るときは10年分とか20年分の価格でつまり1億円とか2億円という事になるはずだ。
土地や不動産の値段(あるいは地代)というのは、そう言う風に予想される収益に基づいて決まるというのが経済学による価格決定論である。
だから戦後、日本の土地の値段は上昇し続けた。
というのも戦後の日本では輸出が伸び、それに伴って商工業が発達したため、工場地や商業地の需要が大きく増えたからである。
また工場やオフィスで働く人の住む場所もたくさん必要になったので、周辺の農地や山までもが開発された。
つまり工業や商業の方が農業より儲かるので、商工業に適した土地は値段が上がった。
また住宅地の需要も同時に増えたから、たとえ山の斜面でも住めれば土地の値段は上がった。
そう言うことが都市部を中心に起こり始め、地方都市へとジワジワと進んでいった。
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土地神話の崩壊が、猛烈な逆資産効果を生んだ
日本の土地の値段は40年間も下がることなく上がり続けた。
その結果、「土地の値段は下がらないもの」という土地神話が日本にできあがった。
これはもちろん、土地に対する需要が40年間続いて大きかったと言うだけの話なのであるが、その結果「土地は安全な資産」という認識が広まった。
たとえば財神(お金儲けの神様)と言われた邱永漢さん(直木賞作家)の著書にはこんな話が載っている。
邱さんは高度経済成長期の日本では、砂利の需要が増えると見込んで砂利がたくさんある海岸の土地を買い込んだ。
そして砂利工場を建てようとしたのだが、実は砂利を取る許可が取れず、また海砂利は塩分が多いので作っても売れなかった。
そうして大損しかけたのだが、気が付いてみると安い値段で手に入れた工場や採石場の土地が買ったときの以上になっていたので損しなかったという。
また親戚が当時流行していたチューイング・ガムの工場を建てた。
ところが雨後の竹の子のように全国に同じ様な工場ができていて、全く儲けにならなかった。
ところがここでもやはり土地の値段が上がっていて、土地を売ったらかえって儲かってしまった。
事業では失敗したが、土地を持っていたので土地価格の上昇によって大損を免れた。
こんな話が山ほどあったらしいから、「土地を持っていれば損しない」という強烈な土地神話というのが生まれたらしい。
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