フィンランド、憲法改正と教育改革に着手
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東西冷戦の終結とソ連崩壊によって、対ソ連・ロシア貿易が激減し、ピンチに陥った90年代初頭のフィンランド。
失業率は0%から16.6%となり、5人に1人が職を失うという状況。
何しろフィンランドは輸出依存度が25~35%もあるという輸出依存国。
そんな国で輸出が激減したからサア大変。
しかし冷戦が終わってしまったことで、東西の狭間にあったメリットは消し飛んでしまったから、新たな国家戦略を再構築しないといけない。
そこでフィンランドは抜本的な改革を始める。
すなわち憲法改正と教育改革である。
フィンランドは1917年の独立から1980年まで、政治体制法・国会法・閣僚責任法・弾劾裁判法という四つの基本法を憲法として採用し、改正は一度もなされなかった。
というのも憲法を改正せずとも、例外法によって実質の憲法改正が果たされたからだという。
この例外法がなんと1995年までに869件も制定され、非常に分かりにくいものになっていたという。
そこで新しい時代に対応すべく、1983年から四つの基本法の改正が徐々に行われ始め、2000年には一つの憲法にまとめられたのだ。
フィンランド憲法改正の流れ
この前にも10件以上の大きな憲法改正があった。
1983年 | 国会議場の権限強化、法案審議手続きの充実 | 国会法 |
1987年 | 国民投票規定の追加、大統領選挙手続き改正 | 政体法 |
1991年 | 大統領を直接選挙制に変更、3選禁止、国会解散権の縮小 | 政体法 |
1992年 | 通常法案の採決を単純過半数に変更 | 国会法 |
1993年 | 国会の外交問題への関与の強化 | 国会法 |
1994年 | 国会のEU問題に対する関与を明文化年 | 政体法 |
1995年 | 基本権に関する章を充実 | 政体法 |
2000年 | 憲法全面改正・新憲法施行 |
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フィンランドの憲法改正、平等と開かれた政府の実現
東西冷戦が終わり、新しい時代に向けて、憲法改正に着手したフィンランド。
国連の人権条約やEUの人権規約を締結し法の下の平等を、フィンランドで生活する人間に対し、同等の権利を保障することを憲法に盛り込んだ。
主なモノは
- 児童取り扱いの平等
- 男女の平等
- プライバシーの保護
- 死刑の廃止
- 情報アクセス権(情報公開)
- 環境権
- 表現の自由と児童保護規定
- 永住外国人の地方参政権
- 教育権(高校就学権)
- 労働権および商業活動の権利
- 兵役の義務と兵役忌避の権利
- 緊急事態における基本権と自由の一時的制限
- 環境保護の責任
フィンランドでは、大統領や政府、大臣や議員、公務員および公的業務を行う者に対し、法を遵守し職務を監督する役職として、「司法長官」と「議会オンブズマン」も設置している。
司法長官と議会オンブズマンには、年間数千件の訴えが届けられ、それを処理している。
また行政機関に対する異議を処理するための機関として最高行政裁判所と地方行政裁判所が設置されている。
フィンランドではこれらの行政監視機関の存在と、新憲法で認められた情報アクセス権などによって、国民の権利拡大と行政監視を進め、これによって行政信頼度を高めたわけだ。
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