ローカル戦略と競合他社との共同戦線で、お笑い業界のパイを拡げる

お笑いの文化がない地に、お笑い文化を広める

NSC(吉本芸能学院)の成功で、タレント発掘のノウハウを獲得した吉本興業。

 

所属タレントの北海道移住をチャンスと捉え、今度は札幌に事務所を開き、北海道でもタレント養成を始める。

 

さらに札幌に事務所を置くならと、福岡や名古屋、広島や仙台などにも事務所を置いて地方タレントを発掘し地方マスコミに仕事を開拓し始めた。

 

ヨシモトの芸人と言っても全てが関西出身ではなく実は全国から集まってきている。

 

なので東京や大阪で芽が出なければ、出身地方へ戻して地元で活動させ仕事を開拓させるという戦略だ。

 

「お笑い」という文化が存在しない地方で、「お笑い」という文化を広める先兵として彼らは地元に送り込まれたわけだ。

 

そして2011年にはとうとう全国47都道府県に社員と芸人を住まわせ、さらなる地方ニーズを掘り起こす戦略に乗り出した。

 

その結果、北海道や九州で育ったタレントの中からも、東京に進出して全国的な知名度を獲得する者も現れ始め、日本各地にお笑い文化を広めることに成功した。

 

そしてさらに2001年から10年間に渡り、Mー1グランプリというコンテストを開催し、競合他社である他事務所の若手漫才師と漫才芸を競うということまで始めた。

 

それまでのヨシモトは、自社制作の番組では、他事務所のタレントを使わなかったのだが、ここからどんどん他事務所のお笑いタレントと積極的に交流を図り、お笑いビジネスの裾野を広げる戦略に転換していった。

 



競合他社と共同戦線を張ってパイを拡大する

全国の大都市に事務所を構え、お笑いの地方進出に力を入れだした吉本興業。

 

さらにはM−1グランプリを開催し、他事務所の漫才師と漫才を競うコンテストを始めた。

 

それまでの吉本というのは、自社で番組を作る場合、他事務所のタレントを入れずに、吉本所属のタレントしか使わなかった。

 

当時既に200人前後のタレントを抱えていた吉本だから、他事務所のタレントなど使わなくても良かったのだ。

 

なので他事務所(松竹芸能)の、ますだおかだが第2回のM-1グランプリで優勝して、吉本制作のバラエティー番組に出演したときには、「前代未聞」とか「画期的」などと言われた。

 

とくに松竹と吉本は関西ではライバル関係で、当時の関西ではもう、それぞれの所属タレントが、同じ番組で顔を並べることは少なくなっていたのだ。

 

しかし東京進出が本格化すると、ヨシモトは積極的に他事務所のタレントと交流を始める。

 

東京の芸能界で勢力を伸ばすには、他事務所のタレントと仕事を取り合うより、協同で「お笑い」のパイを大きくするのが得策だと判断したらしい。

 

そしてまた東京のテレビ局では、吉本と松竹の芸人のバッティングなど気にせず、とにかく勢いのある芸人を集めて番組を作ったから、ダウンタウン(吉本)とウッチャンナンチャン(マセキ芸能社)ナインティ・ナイン(吉本)と、よゐこ(松竹)などという、関西では考えられないような組み合わせも生まれ、そこでまた新しい笑いが誕生することになった。

 

NEXT:「お約束」という成功フォーマットの共有が、新しい世界を切り拓いた。

 


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