NMB48はなぜいきなり売れた?吉本興業の情熱と、地域パワーが結実

NMB48はなぜいきなり売れた?吉本興業の情熱と、地域パワーが結実

吉本興業、実は2度目の挑戦だった

アイドル不毛の地と言われる大阪で、NMB48を立ち上げた吉本興業。

 

しかし実は吉本がアイドルグループを立ち上げるのは初めてではない。

 

可愛い女の子はみんな東京に行ってしまうから、大阪でアイドルを育てるのは無理」そんな常識を覆そうと、1990年代初めに、大阪パフォーマンスドール(OPD)を結成して、アイドル育成事業にも挑戦していたのだ。

 

OPDとは、エピックソニーレコードが手がけた東京パフォーマンスドール(TPD)の姉妹グループで、本家TPDでは女優の篠原涼子さんなどがフロントメンバーとして活躍していた。

 

また同じく女優の仲間由紀恵さんなども、TPDの研修生としてレッスンを受けていたというから、本格的なプロが作ったグループだった。

 

そしてメンバーを、フロントメンバー、ライブメンバー、研修生というふうにランク付けしメンバーを随時入れ替えるという、二軍制システムを取っていた。

 

まるで今のAKB48のようなシステムで、人気もそこそこあったのだけれど、グループとして目立ったヒット曲を出すことができずに6年ほどで自然消滅してしまった。

 

TPDの消滅に伴い、OPDも自然消滅。

 

吉本興業のアイドル育成プロジェクトも実を結ぶことはなかった。

 

だからNMB48の立ち上げは、吉本興業としては、約15年ぶりの2度目の挑戦だった。

 



乗ってる企業は、何でも全力投球

90年代前半に、大阪パフォーマンスドール(OPD)を結成してアイドル育成事業に挑戦したモノの、ほとんど成果が上げられず撤退した吉本興業。

 

しかし今回はAKBグループというブランドがある上に、秋元康プロデュースということで最初から全力投球。

 

手始めに、吉本の本拠地NGK劇場の向かいにあった『baseよしもと』と言う小劇場を潰して、NMB48専用劇場に作り替えた。

 

『baseよしもと』とは、ダウンタウンらが育った心斎橋2丁目劇場の後継劇場で、若手芸人育成のための重要な拠点劇場である。

 

多くの若手芸人がこの劇場から巣立っているのだが、そんな由緒ある劇場を移転させてまで、NMB48劇場を造ったのだから凄い力の入れようである。

 

また京楽産業とKYOURAKU吉本という別事務所を作り、NMBメンバー全員を所属させて専門にサポート。

 

吉本のタレントの場合は、相当売れっ子にならない限りマネージャーすら付けないのだから完全に別格扱いだ。

 

そしてNMBメンバーを関西のテレビやラジオにどんどん出演させ、吉本芸人とも競演させて魅力をアピールさせた。

 

最近の吉本は、M−1や沖縄国際映画祭、ライブスタンドなど、ホントにこういうイベント作りのへ熱意が凄いが、その甲斐もあって、NMB48はデビューから3作連続でオリコン週間チャート1位を獲得。

 

そして今やNMB48メンバーは、関西のマスコミでも引っ張りだこのアイドルになった。

 

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