生き残りをかけて日本全国でコストカット
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1990年春から始まったバブル崩壊。
土地神話が崩れたことで銀行は数十兆円にも及ぶ不良債権を抱えた。
1992年にはBIS規制による金融機関の貸し出し規制が始まり身動きできなくなった銀行は貸し渋りを始めた。
銀行の貸し渋りによって、経営資金を銀行から借りていた企業は倒産の危機に見舞われ、黒字企業までもが倒産に追い込まれた。
失業率はジワジワと上がり始め、2%から4%超と倍増した。
日本の失業率の推移
たまごっちやポケモンなどのヒット商品はあったが、生活必需品は安くしないと売れなくなってしまった。
そしてモノを安く売るために、企業は正社員をなるべく雇わず、アルバイトやパート、派遣社員を利用するようになった。
安売りが当たり前のスーパーなどでは、かなり前からアルバイトやパート中心で営業していたが、それが普通の企業でも当たり前になっていった。
日本の人件費は当時、世界で最も高い人件費になっていたから、高い人件費をいかに抑えるかが一つの解決策だったのだ。
なので正社員を雇わずに派遣社員を利用し、外注に出せる仕事は外注に回した。
アウトソーシングなんて言葉も流行ったね。
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IT革命が、さらに仕事を減らす
またその一方でパソコンの性能がどんどんよくなり、中小企業でもパソコンとインターネットを普通に使うようになった。
そして今まで外注に出していた様々な作業をパソコンで行うようになった。
これを俗に「IT革命」なんて呼ぶが、企業はこぞってIT革命によってコスト削減に励んだ。
たとえば簡単な印刷物なら、印刷業者に頼むまでもなく、オフィスのパソコンとプリンタだけで作れるようになった。
電話やファックスなどでやっていた連絡なども緊急の用がなければ電子メールを使うようになり、タダのようなコストで行えるようになった。
グループウエアというツールを使うことによって、ネット上で会議を行ったり、営業報告を登録して、メンバー全員が会社にいなくても簡単に全員の状況を知ることが出来るようになった。
要するに今までたくさんお金を払ってやっていたことが、パソコンとインターネットによって格安で出来るようになった。
これはコスト削減の観点からは有り難いことであったが、こういう作業を請け負っていた企業にとってみれば仕事がドンドンなくなっていくことを意味した。
こうして日本の90年代は、節約とコスト削減の嵐が吹き荒れて、戦後初めてのデフレとデフレ・スパイラルに陥ったわけだ。
橋本政権で消費税を3%から5%に引き上げた後が不況のピークであったので、消費税引き上げと不況を関係づけて論じる人もいるが、こうしてみてくると不況と消費税増税はほとんど関係ない話である。
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