情報社会の富の体制である知識供給は、データと情報と知識で説明できる?
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トフラーのテキストによると情報社会の富の源泉は、情報と知識である。
そして情報とは、データとそれを取り巻く状況の組み合わせだという。
テキストでトフラーが挙げている例を紹介すると、たとえば「300株」というのはデータであるという。
300株というのは、株式が300あると言うことだ。
次に製薬会社Xと300株という事項が結びつくと、ここで「製薬会社Xの株式300株を保有」という風になり、これが「情報」となるんだという。
そしてこの製薬会社X300株の株価情報と、無数にあるこの株を取り巻く環境情報の何かを組み合わせたとき、始めて「知識」という状態になる。
「株式相場は全体として上昇しているが、過熱気味だ」「医薬品は社会の高齢化に伴い需要が増すので、今後も製薬会社は有望だ」「この株は2週間前から10日連続で上がっていて、そろそろ伸びが止まった」「現状では、株を処分して現金化する緊急の状況にはない」こういう風な別の情報と組み合わせることによって、この300株を売るか、持ち続けるか、あるいは買い増すか、という判断をするわけだ。
データ(単位付数値)・情報・知識、と言う三つの要素で、トフラーは新しい富の体制である「知識供給」が描けるという。
知識は線形でない、無形の非競合財
では知識とは、どんな性質を持つものなのか。
まず知識は無形の非競合財(ひきょうごうざい)だという。
無形というのは、触ったりなでたりできないと言うことで、ある。
そして財(ざい)というのは英語ではgoodsという単語になるのだが、「形のある物」とか「形のある商品」のことを意味する。
経済学では人々が売買したりやりとりするモノを、「財」と「サービス」に分類して考えるが、財とは在庫できるモノだと思えばよい。
一方、サービスというのは、散髪やクリーニングなどのように在庫ができないモノのことを言う。
散髪したいなと思って散髪屋に出かけて髪を切ってもらう。
これは在庫できないので、財ではなくサービスと言うことになる。
サービスは在庫できないが、サービスを提供する者が待機している。
散髪屋さんや美容院では、理容師や美容師が待機していて、お客さんが来て髪を切って初めて、サービスが提供されたことになる。
で、知識は文字情報や音声情報、動画情報として保管できるので財である。
非競合財(競合財でない)というのは、複数の人間が、同時に使うことができ、減らないということだ。
たとえば算数は、1億人であろうと10億人であろうと利用できるし、減らない。
無料の情報であろうと、有料の情報であろうと、それは同じである。
また知識は大勢で使うと、新しい知識を生み出すと言うことも起こる。
ちょっとした知識が大きな価値を生み出すこともあるし、膨大な知識が、何の役にも立たないこともある。
トフラーはこのことを、「知識は線型でない」と表現している。