産業はなぜ、そこに集まるのか
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19世紀、世界の工場と言えばイギリスであった。
20世紀の前半はアメリカ、そして後半は日本とNIES。
そして21世紀の前半は、中国・インド・ブラジル、21世紀の後半は、インドとアフリカと言うことになる。
しかしこれは工場が集まる場所であって、工場労働者が集まる国や地域という意味である。
特定の土地に特定の産業が栄えるのには、それなりの理由があって、これを研究したのが経済地理学や空間経済学とよばれるものだ。
有名なのがチューネンが「孤立国」という著書で発表した「チューネン圏」と言う考え方である。
チューネンというのは19世紀初頭のドイツの農学者・経済学者で、都市との距離と土地の利用法に相関関係があると唱えた。
仮にだだっ広い均質の農地の中央に都市があったとすると、都市の一番近くの同心円内に、野菜畑や果樹園ができ、牛乳などの生鮮食品が生産される。
これは都市より遠い場所では輸送に時間がかかるので、都市の近くでないと成り立たないからである。
その外側には、材木や薪を取るための森林が作られる。
というのも木材は重いので、都市から遠いと輸送にコストがかかるからである。
さらに外側には、軽くて保存が利く穀物を生産することになり、その外側では、都市まで歩かせて連れて行ける動物を飼うことになる。
こういう風に、消費地と輸送コスト(+地代負担力)によって土地の利用法が定まるというのが、チューネン圏のおおまかな考え方である。
情報社会の富には「重量」がない。
産業というのは、どこでも成立しうるものではない。
製造コストや輸送コストが最小になるような場所でないと、産業が発達すると言うことはない。
農業の場合は、都市への輸送コストによって農地の利用法が定まったが、工場の立地は、原材料の輸送コストやエネルギー調達コストと、消費地への輸送コストなどで決まる。
たとえば内陸部で製鉄を行う場合は、石炭がでる炭坑と、鉄鉱石の鉱山と、消費地を結んだ三角形の内側になるというイメージだ。
また海上輸送やトラック輸送が主流になり、エネルギーとして電力が使われるようになった20世紀には、原材料を大量に搬入できる臨海部や大きな川の沿岸に、大きな工場が集まるようになった。
これらは全て、原材料の調達地との距離や、市場との距離による制約である。
ところが情報社会で生産される高付加価値商品やサービスは、無形であるか、恐ろしく軽いモノばかりである。
高付加価値(こうふかかち)というのは、要するに高く売れるモノということだが、情報社会では、金融やソフトウエア、テレビ番組や音楽、旅行(の予約)などで、これらは輸送費などかからないので、消費地の近くで生産しなくても良い。
またパソコンなどの情報集約型商品も、一つ一つの部品は軽いモノだから、航空機で運んでも1コ当たりの輸送費も、タカが知れているわけである。
情報社会の富には「重量」がないので、世界中のどこで作っても良いってことだ。