公共工事が役に立たなくなったわけ
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トフラーのテキストによると、今や情報社会に移行したのであるから、工業社会の常識は通用しないと言う。
工業社会が到来したとき、人類は農耕社会の常識を捨てねばならなかった。
それと同様に今、工業社会の常識を捨てねばならない。
古い常識は新しい世界では通用しないから、ここ二三十年のエコノミストの予想は全く当たらなくなったのだという。
恐らく理由は簡単で、投資に対する経済成長の割合が、全く読めなくなったと言うことだろう。
特に公共投資が景気浮揚に、何の役にも立たなくなったのは、90年代の日本では顕著である。
2000年から10年にわたってデフレ克服だ、景気浮揚だと称して財政出動し、国債の債務残高を300兆円も増やしたのにGDPが減り続け、なんと500兆円をも割ってしまった。
総人口は、1兆2600万人(2000年)から1兆2700万人(2010年)とほぼ変わらないのだから、こんな事は、マクロ経済学ではあり得ない話である。
300兆円借金が増えたと言うことは、300兆円のお金が日本国内に投下されたってことで、最低でもこの300兆円分くらいはGDPが増えないとおかしいわけである。
なのに増えない。
公共投資の波及効果はどうなった、乗数効果は1より小さくなったのか?
飛ぶようにモノが売れた時代から100年たつと…
公共投資が景気を浮揚させGDPを増やすと言う理論は、20世紀初頭のイギリスの経済学者ケインズによって唱えられた。
ケインズは失業率が10%を超えていた当時のイギリスでどういう政策を行えば完全雇用が達成できるかを論じた。
因みに完全雇用とは、労働力の需要と供給が一致する状態で、簡単に言うと、働きたい人がたいてい仕事を見つけられる状態だ。
で、ケインズが生きた20世紀初頭のイギリスは、国内に新しく投資して儲かりそうな有望な産業が減ってしまい、資本は工業化が発展途中でビジネスチャンスがある海外に流出していた。
イギリスで産業革命が始まったのが1770年頃で、それから約70年ほどにわたって工業化が進んだわけなのだが、イギリスでは今から百年ほど前には工業化が完了して、労働者は余るわ企業は外国に出て行くわという停滞状況に陥っていたわけだ。
なんか今の日本の状況に、どことなく似ている感じもするね。
そこでケインズは考えた。
「これって、モノを買ってくれる人が少なすぎるからと違うか?」当時の経済学の常識では、モノは作れば必ず売れると考えられていた。
「供給はそれ自らの需要を生み出す」という「セイの法則」が広く適用できると考えられていた。
セイの法則というのは簡単に言えば「商品を作れば、高く売れるか安く売れるかわからんが、とにかく売れる」と言うことで、マルクス経済学もセイの法則の上に組み立てられていた。
しかしこれは物資が不足している経済状態では成り立つモノの、物資の供給力が充実したり、耐久消費財などに関しては成り立たない法則である。
だいたい失業率が上がるのは、不況でモノが売れずに在庫が積み上がり、在庫が積み上がるからモノを作る必要がなくなって、仕事がなくなるわけである。
モノが売れない状況で、作れば売れるという説は、さすがに説得力がない。
じゃあ、何が問題なんだ?ということでケインズは、「モノが売れない原因は、買う力が弱いからだ」と考えた。
アホみたいに妥当な結論だが、これがいわゆるケインズ革命の始まりだった。