リードタイムが長いモノは売れない時代
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工業化が進み、生産量が飛躍的に伸びた結果、先進国は基本的な物資について量的に充足した。
食料品や衣服などがコモディティ化、つまり「ありふれたもの」となり、バイクや自動車のようなモノすら学生がバイトで買えるようなモノになった。
こういう社会では、より消費者のニーズに合った、より消費者の感性を刺激するものでなければモノは売れなくなってしまった。
ありふれたモノは安くても見向きされず、消費者の細かなニーズを満たし、感性を刺激するモノのみ競って買われるようになった。
こういう社会では、スピード感が最重要になっていく。
顧客のニーズを捉えたら、すぐさまそれに対応しなければ、ブームが去った後に商品を大量供給するという、悲惨な目に遭うことになった。
注文から納品に至までの時間のことをリードタイム(lead time)と呼ぶが、リードタイムが長いモノは売れないし、リードタイムの長い組織は仕事を失う。
たとえば自動車を買おうと思ったが、納期を尋ねると半年先だという。
そんなとき、特別にその車に思い入れがなければ、「じゃあいいや」ってことになる。
別の企業の競合車が2ヶ月後に手にはいるならそっちにするし、状態のよい中古車が、すぐに手に入るようなら、それにしようと言うことだって起こる。
企業同士の商談で話がまとまりかけていても、取引きを監視している部門だとか上司がその取引きを認めないと言えば、やっぱりご破算になる。
こういう、取り引きに時間がかかるような商品は、よほど魅力的でない限り、売れなくなってしまうわけだ。
代わりがいくらでもある時代の足枷とは
工業化が進み、社会全体に富が増えていくと、代わりがいくらでもある状態になる。
こういう時代になると、スピード感がない組織は見捨てられ取り残されることになる。
工業社会は分業と専門化によって大きな富を作り出したが、情報社会では同時性を重要視しないと、逆に足枷になってしまう。
そしてビジネスマンも消費者も、時間に対する感覚がドンドン変わっていく。
つまり「遅いのは罪」「遅いのはいらない」「今日欲しい、明日だったらいらない」そう言うのが普通の感覚になっていくわけだ。
しかし社会全体が、そういうスピード感を持っているわけではない。
消費者、つまり一般国民や一般市民はそういうスピード感だが、全くそのスピード感についてきていない組織や仕組みが山ほどある。
トフラーのテキストによると、一番の猛スピードで走っているのは「企業」だという。
トフラーは時速100キロで走る車だと表現している。
そしてその次は、社会に変化を求める社会団体。
たとえば反企業団体や環境保護団体、カトリックや仏教・新興宗教団体、職業団体やスポーツ団体、税金嫌いの団体などの社会団体だという。
これらは現在の世界に対して様々な不満があり、その変革を求めている。
それ故に猛スピードで走る車だという。
時速90キロ。
そして時速60キロで走っているのが、アメリカの家族。
労働組合は時速30キロ、政府の官僚組織は時速25キロ、アメリカの教育制度は時速10キロ、そして国際機関は時速5キロ政治制度は時速3キロ、そして法律は時速1キロ…どんなに世の中のためになるような事業があっても、役所が規則などを理由に許可を出さなかったり、法律を改正する必要があったりすると、やっぱりどんどん利益は失われて行くし、新しい犯罪もはびこることになる。