情報社会とは、知識が富となる世界

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情報社会時代の富の源泉は「知識」である

 

昔の言い方で言うと、農耕社会は第一次産業、工業社会は第二次産業が中心の社会であった。

 

そして情報社会は第三次産業が中心の社会なのだ。

 

第三次産業というと商業やサービス業と言うことになるが、「経験経済」のパイン&ギルモアによると、さらに三分類できて

  • デリバリー(配達・代行)
  • エクスペリエンス(娯楽・経験)
  • トランスフォーメーション(変身・成長)
に分けることができるという。

 

経験経済・エクスペリエンス エコノミーを読む!デリバリーは、その名の通り「配達」であり「代行」だが、人を楽しませたり、変身させたりするのに必要なのは、「ノウハウ」と呼ばれる「高度な知識」である。

 

この高度な知識によって、人々は楽しいひとときを過ごしたり、苦痛を取り除き、自分でも見惚れるような姿に変身したりして、自分の欲求を満たすわけである。

 

富とは必ずしもお金ではなく「欲求を満たせるモノ」であるから、これらのノウハウや高度な知識は、富そのものであると言って良いだろう。

 

だから多くの人は有用なノウハウを持つ者に対してお金を払い、彼らのノウハウによって、自分の叶えたい事を叶えるわけである。

 

ところがパソコンとインターネットが普及したことによって、事態は一変した。

 

すなわち、有用なノウハウや高度な知識が、無料か非常に安い費用で手に入るようになってきたのだ

 



世界のあり方を変えるプロシューマとは

第三次産業は、有用なノウハウと高度な知識を用いて、お金を稼ぐ産業である。

 

だからいかに他より優れたノウハウを編み出すか、そしてより効率的に利益を生み出すかが重要になる。

 

そのために様々なアイデアが生み出され、より良いモノは、古くて効率の悪くて高価なモノに代わってきた。

 

メシの種は、自らが持つ有用なノウハウや高度な知識であるから、これを秘密にして外部に漏らすことはタブーである。

 

だからいかに有用な知識であっても、外部には漏らさないようにされていた。

 

だから既存の企業は自分たちが編み出した知識を守ることにお金をかけていた。

 

巨額の資金を投じて開発したモノが、タダで他のモノに使われて稼がれたら、たまったもんじゃないからね。

 

しかしそれでは新しく発明するインセンティブが生まれないので、著作権料や特許料などを支払うという契約の元で、それを使えるようにした。

 

作ったモノに対して法律によって著作権や特許(パテント)を認め、使用料を払うことで商売に利用できるよう図り、知識の創造を促したのだ。

 

ところがパソコンとインターネットが普及するに連れて、全く別のところから彼らを脅かす存在が現れ始めた。

 

それがトフラーの言う「プロシューマ」(prosumer:生産消費者)という存在だ。

 

プロシューマとは、自分の欲求を満たすために、自分でモノを作る人のことである。

 

簡単に言うと「自分で作っちゃう人」とか「自分でやっちゃう人」ってことで、日曜大工で机や本棚を作ったり、自分で着るセーターやドレスを作ってしまう人って事だ。

 

こういう人というのは昔からいるわけだが、情報社会では彼らの存在が、世界に大変革をもたらしつつあるのである。

 

というのも情報社会では、情報はデジタル化すると、ほとんどタダであっと言う間に世界中にばらまけるからね。

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