大航海時代の幕が開き、時代が動き出した
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農業社会の特徴は、食糧生産力によって人口の上限が決まってしまうと言うことである。
日本でも江戸時代の人口は、2500万人から3000万人の間で増えたり減ったりしていたが、これは江戸時代初期の新田開発ブームの後、ほとんど農地が増えなかったからである。
ヨーロッパでも産業革命の数世紀前までは、目立った農業技術の進展もなく、人口も一定に保たれていた。
13~16世紀は5千万~7千万人の間を推移していたと考えられている。
ところが12世紀から始まった十字軍の遠征で、古代ギリシャの古典やイスラム科学がヨーロッパに伝わり、マルコポーロの東方見聞録が著された頃から新しい風が吹き始めた。
14世紀頃から始まる、いわゆる「ルネサンス」(再生)であるが、中国からイスラムを経て伝わった活版印刷術、羅針盤、火薬の三大発明が、書物を普及させ自然科学の発展や宗教改革につながった。
羅針盤によってヨーロッパの航海技術が進歩し、大航海時代が始まった。
南アフリカの喜望峰回りでインドと交易し始めたり、16世紀にはアメリカ大陸が発見され、スペインやポルトガルが領土を獲得した。
そして新大陸からヨーロッパに、様々な作物がもたらされた。
ジャガイモ・トマト・唐辛子・トウモロコシ…。
これらの農作物は、ヨーロッパの食糧事情を一気に好転させた。
特に寒冷地でも育ち、肥料も少なめですむジャガイモは、ヨーロッパ人の主食となった。
ジャガイモやトマトが広まり人口が増えた
ジャガイモの原産地は、南アメリカのペルーだと考えられている。
そのペルーから16世紀にスペイン人がヨーロッパに持ち帰り、栽培が始まった。
このジャガイモは「救荒作物」と呼ばれ、飢饉の際に貴重な食料となる有り難いものだった。
というのもジャガイモの特徴は、痩せた土地や酸性の土地でも栽培しやすく、うまくやれば年に二回も三回も収穫できることだ。
アンデスの涼しい気候が原産地だから、寒冷地でもしっかり栽培できる。
これってかなり凄いことだね。
それもそのハズで、ジャガイモというのは実はイモじゃない。
ジャガイモは実はナス科ナス目なす属に属する植物であり、なすびや同じくアメリカから渡来したトマトに非常に近い植物なのだ。
ジャガイモは炭水化物やビタミンを豊富に含み、茹でたり焼けば食べられるという手軽さだから、日本でも江戸時代には飢饉の時の非常食として多くの命を救ってきたという。
(日本には16世紀末にオランダ人によってもたされたらしい)そんなジャガイモは、17世紀頃からヨーロッパ全域で栽培されるようになり特にイギリスやアイルランド、ドイツなど北部ヨーロッパの主食となっていく。
また北アメリカにももたらされて、アメリカ独立戦争の貴重な食糧となった。
そうして5千万~7千万人の間を推移していたヨーロッパの人口も、これらの渡来作物が広まった大航海時代末の17世紀半ばには1億人を突破し、産業革命の始まりの時期とされる18世紀後半には、1億5千万人まで増加していく。
ジャガイモという作物がヨーロッパにもたらされ、普及したことが、実は西ヨーロッパで産業革命が起こる下地になったってことは面白いことだろう。