第三次産業主体の経済に移行した日本
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情報社会では工業社会とは根本的に異なり、時間に決まりと言うものがなくなっていく。
人々は自分の都合のよい時刻を選んで働き、自分の都合のよい時刻に買い物したり食事をする。
そう言う働き方が可能になった。
工業社会ではずっと、定時に仕事が始まって、定時に終わるのが普通であった。
学校も工場もオフィスも朝9時前に集合し、授業や製造や営業が始まり、12時前後に1時間弱の昼休みを取る。
午後5時過ぎには業務を終え、家で家族揃って夕食を取る。
それに合わせて交通機関は動くし、放送局もそれを前提に番組を作る。
日本でも大正時代には、都会はこう言うタイムテーブルで社会が動き、それが戦後50年間は、空気のように当り前であった。
ところが1992年を頂点に第二次産業の就業者人口が下がり始める頃には、多くの工場は生産ラインが機械化され、工場では人手がいらなくなった。
金属加工旋盤なども、コンピューターに数値データを入力するだけで複雑な金属加工ができるようになり、機械の操作担当者しかいらなくなった。
一方、サービス業など第三次産業に就く就業者数の構成比は、戦後の35.8%(1953年)から一貫して右肩上がりで上昇し、2007年には67.7%と3分の2を超える割合になり、第一次産業は4.2%、第二次産業は26.8%と大幅に構成比を下げたから、富の生産主体は完全に第三次産業に移ってしまった。
そうなると、朝9時に仕事場に集まる必要のない人口が増え、始業時間も就業時間も、業種や職種で全然異なるようになってくる。
つまり社会の労働者の働き方が、すっかり変わってしまったのだ。
働き方も家族の時間もバラバラな社会の出現
富の生産主体が、工業からサービス業などの第三次産業に移ると、定時に従業員が全員、決まった場所に集合し、定時まで働いて帰宅するというスタイルが一般的ではなくなった。
サービス業では営業時間帯が工場とは違ったり、長いのが普通であるので、シフト表に従って、朝早くから出てきて働くモノもあり、夕方から出てきて深夜まで働くモノもあり、曜日によって働く時間が変わったり従業員同士、全く顔を合わさない様なことも起こるようになった。
企業も、出社時間を選択できるフレックスタイム制を採用したり、パソコンとインターネットの普及によって、出社せずに在宅で勤務するという事も可能になった。
だから家電工場や自動車工場のように、製造ラインに多数の工員を配置するような工場以外では、就業時間はドンドン流動的になって、人々の働く時間帯も流動的になった。
そしてこういう人々を相手にするサービス業の営業時間帯も、流動的になった。
24時間営業はコンビニの専売特許だったが、スーパーやフィットネスクラブにも24時間営業店が登場し、逆に夜中の数時間だけ営業して閉めるような店も現れだした。
こういう社会では、働き方も家族の時間もバラバラになり、農耕社会の価値観も工業社会の価値観も通用しない時代になったわけだ。