土地の囲い込みと賃金労働者の誕生

農業生産が増え人口が増え、そして労働者が生まれた

イギリスでノーフォーク農法が確立し、爆発的に農業生産が増加した。

 

これが農業革命というやつだ。

 

農業革命によってヨーロッパ農業はそれまでののんびりした粗放的農業から集約的農業に変貌した。

 

集約的農業というのは、簡単に言うと肥料や労働力などの資源や資本をたくさん投入して限られた土地からたくさん収穫しようと言う農業である。

 

つまりジャンジャン土地に投資して、ジャンジャン作物を生産するってことだ。

 

この農業革命によって生産量は爆発的に増えたが、その一方で農民の身分にも大きな変化が起こった。

 

つまり土地を所有する地主、そして地主から土地を借り受ける借地農、借地農に雇われる農業従事者という3つの階層に分かれていったのである。

 

これを「三分割制」と呼ぶが、最初は農地を柵で囲い込んだことから始まった。

 

イギリス議会では18世紀に農業生産力を上げるために法律を作り、農地の整理を行った。

 

これがいわゆる第2次エンクロージャー(囲い込み)になるが、農地の囲い込みによって地主以外の村の農民は借地農となるか、農業従事者としての職を得ることになったわけだ。

 

新しい農業である輪栽式農法は、集約的農業だったので人手が必要だった。

 

それ以前よりもたくさんカブを栽培し、それ以前よりもたくさん家畜を飼い、家畜の糞などを肥料として畑にまいたわけだから、労働力もたくさん必要だったのだ。

 

そして工業化により地方から都会に労働力が流れ始めるのは、もう少し後のことになる。

 



賃金労働者の誕生

農業革命によってイギリスでは農業生産力が上がり、それに連れて人口が2倍以上増えた。

 

都市部でも人口が増えたが、農村部でも人口が増え、農村から都市部に人口が移動し労働者として暮らし始めた。

 

貿易も活発になり、港湾労働者も増えた。

 

工業も手工業から次第に機械を使う工業に発展して行き、エネルギーとして石炭が使われたので炭坑労働者も増えた。

 

そして人々の働き方や価値観は、農業社会とは全く異なってしまった。

 

というのも農場では、日が昇れば家畜を放牧地まで連れて行き、日没まで自分のペースで受け持ち区画で農作業して帰ってくれば良かった。

 

労働の報酬は特に定められたものではなく、あったとしても現物中心だった。

 

しかし産業革命後の工場では、決まった時間に決まった場所につき、決まった作業を決まったペースで延々繰り返すという働き方になった。

 

労働の報酬も、作業内容と時間に比例する形で支払われ、現物ではなく「賃金」という「お金」で支払われるようになった。

 

いわゆる「賃金労働者」の誕生である。

 

産業革命によって新しく始まった工業生産というのは、それまで一人の職人が全てやっていた工程を細かく分業化し、それぞれの工程を、豊富な労働力と石炭などの化石エネルギーで動く機械で大量加工するということである。

 

その細かく分けられた工程の一つを担当し、時間通りに働くというのが、産業革命後の工業社会の基本的なルールとなった。

 

産業革命は1760年頃から70年もの時をかけて徐々に進展し、その過程で「働き方」や人々の価値観も工業社会に適した形に変わっていった。

 

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