工業化社会が行き着いた先に
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1980年頃から、西側先進国では工業社会の行方が盛んに議論された。
産業革命から約300年の歳月がたち、世界はどうも違う時代に入ったようだという様々な状況証拠が出てきたのだ。
そしてトフラーなどの未来学者たちは、西側先進国では工業化がすでに完了し、次の時代への変化が始まっていると主張した。
トフラーによると、工業化は
- 標準化(規格化)
- 専門化(分業化)
- 同時化(同期)
- 集中化
- 規模の極大化
工業化時代には、画一的な商品を大量生産・消費するために、メーカーは大都市近辺の臨海部や大きな河川沿いに工場を建てた。
商品を大量生産するために労働者がたくさん必要だったし、商品を買ってくれるお客さんが多い都市近郊が、最適の立地条件であったのだ。
そうなると労働者用の住宅地の開発も盛んになり、労働者相手のサービス業なども発達したから、都市はさらに大きくなった(集中化、規模の極大化)。
この頃は地方からどんどん人間が大都市に集まってきた時代で、都市には田舎にはない様々なモノがあったから、画一的な商品であっても、飛ぶように売れていたのだ。
ところが工業の生産技術が上がり、需要量より供給力が上回ると、世の中にはモノがあふれるようになった。
大量生産された商品は、「コモディティ」、つまり「ありふれたもの」になり、非常につまらないモノになってしまった。
工業化の初期には、工業製品を持つことがステイタスを上げたが、脱工業化時代には、他人とは違うモノを持ったり、「他人とは違う自分のスタイル」がステイタスになってきたのだ。
規制緩和
脱工業化で最初に起こったのは、大量生産品が売れなくなり、画一の商品やサービスしか提供できない企業が、嫌われ始めたことだった。
そのため、先進国では規制緩和が叫ばれ始めた。
規制緩和を大々的に取り入れたのは、イギリスのサッチャー首相であったが、先進国はこぞってこれを採用した。
規制緩和は、画一的な商品やサービスに飽き飽きしていた先進国の国民に歓迎された。
たとえば電話サービス。
かつて日本で「電話機」と言えば、黒電話しかなかった。
これは電話の爆発的普及に対応した600形と呼ばれる機種で、1963年(昭和38年)に導入され、80年代中頃まで、殆どの家庭はこの黒電話を使用していた。
色のバリエーションはあるにはあったが、単なる色違いで、しかもあまりきれいな色ではなかったため、おしゃれな電話カバーを掛けて使っている家庭が多かった。
ではなぜこんな没個性的な黒電話をみんな使っていたかというと、当時は黒電話しか選択肢がなかったからである。
電話というのは、電話事業を独占していた電電公社(NTT)に使わせてもらっているものであって、電話料金が高いからといって他の電話会社を選んだり、おしゃれな電話機や、便利な機能の電話機をを手に入れても勝手にはつなげなかったのだ。
黒電話を知らない世代の人にとっては、電話機なんて電気屋で買ってきて電話線のモジュールジャックに差し込むだけでつながるものだと思っているかも知れない。
しかし昔は電話局に申し込んでから何週間もあとに電話工事のオジサンが黒電話を抱えてやってきて、銅線を剥いて電話回線につないでもらったのだ。
みんなが自由に電話を選べるようになったのは、規制緩和によって電話事業が自由化されてからあとの話で、それ以来、黒電話はあっと言う間に姿を消して、見かけることも珍しくなった。
つまり選択肢がたくさんあれば、一種類のモノがたくさん売れるってことはないんだね。
そして自由市民たちは、多様な選択肢から、自分の生活スタイルにあった商品やサービスを選ぶようになったから、画一的なサービスを高値で押しつけてくる国営企業は、どんどん嫌われるようになったわけだ。