大航海時代と農民・商人の台頭

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13世紀のマグナカルタから300年がたち、その間にイギリスの勢力図も大きく変わった。

 

ペストなどの伝染病が流行したため、農民を囲い込もうとした諸侯は、逆にワット・タイラーの農民反乱により、農奴制がとれなくなった。

 

モンゴル帝国衰退によって始った大航海時代には、アメリカ大陸からジャガイモやトウモロコシ、トマトなどの新しい作物が伝わり、農業生産力も徐々に上がって、人口も爆発的に増えだした。

 

またアメリカ大陸から銀などが大量流入したために、銀を交換手段として使えるようになったので、16世紀のヨーロッパでは、交易が盛んになった。

 

さらに商圏がヨーロッパ全体に広まったことで、物価上昇も始った。

 

つまり一番高い値段で買ってくれる地域に商品が集まるようになり、それにつられる形で商品価格が上昇したわけだ。

 

これを「価格革命」と呼ぶこともあるようだが、物価の上昇によって、それまで地代収入で生計を立てていた封建領主は軒並み没落することになった。

 

また16世紀に始った宗教改革によって西ヨーロッパではローマ教会派対プロテスタントの宗教戦争が起こるようになった。

 

ドイツではドイツ農民戦争などを経て、アウクスブルクの和議によって信仰の選択が認められた。

 

フランスではナントの勅令によってユグノー(プロテスタントの一派)への寛容が認められたが、後に廃止され、有能な人材がフランスを後にして周辺国へ移ったという。

 

そして宗教改革の波はイングランドの政治にも影響を及ぼすようになる。

 


イギリス国教会を巡る戦い

イングランドの国教はキリスト教である。

 

キリスト教にもいろいろあって、まずローマ・カトリック(西教会)とギリシャ正教(東教会)に分かれる。

 

ローマ・カトリックはヨーロッパの西側に広まり、ギリシャ正教は東ヨーロッパやロシアに広まる。

 

この二つの違いとしては色々あるが一つあげるとすると、ローマ・カトリックは聖なるモノと俗なるモノを分離するが、ギリシャ正教は聖なるモノと俗なるモノを分離しないという。

 

ローマ・カトリックでは信仰はカトリック教会に従えばよく、経済活動は教会の教えに従わなくても良い。

 

一方、正教では聖俗一致、政教一致である。

 

共産主義がロシアや東ヨーロッパに定着したのは、このギリシャ正教の聖俗一致の考えに似ているからだという事を言う人もいるようだ。

 

そしてローマ・カトリックから16世紀に分かれ出たのがプロテスタントになる。

 

プロテスタントはカトリック教会に教会税を納めることを拒否して、聖書を元にして独自に信仰を深める方向に進む。

 

そして肝心のイギリスの教会は離婚問題でヘンリー8世がローマ教会の指導を受けない国教会を立ち上げる。

 

その後カトリック復権を目指して反対者を処刑しまくった女王メアリー1世(ブラッディ・メアリ)の時代を経て、最終的には女王エリザベス1世の時代に国王至上法が再可決され、政治も宗教もトップに国王が就くという状態になり現在に至る。


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