「増税とばらまき」の党からの脱却

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1995年、3ヶ月に渡る全国遊説を行い、労働党の新方針と党綱領第4条の改訂を訴えて回ったトニーブレア党首。

 

のべ3万人の党員との直接対話によって、臨時党大会では党綱領の改訂に成功し、労働組合などの既得権益に切り込める「新しい労働党リーダー」を広く国民に印象づけた。

 

第4条の改訂は国民に好意的に受け止められ、直後の地方選挙では保守党に圧勝し、労働党復活を印象づけた。

 

しかしブレア党首の次なる課題は、新しい経済政策をいかに構築するかであった。

 

というのも前回(1992年)の総選挙では、事前の調査で保守党を上回る支持率を得ていたのにメージャー保守党にまったく及ばない結果に終わってしまったからだ。

 

そこで選挙の勝敗を分ける選挙区(スイング選挙区)の有権者の意識を調査・分析してみたところ、労働党は、企業を国有化して経済を混乱させる党であり、「増税とばらまき(tax and spending)」の党という非常に悪いイメージがついていることが分かった。

 

つまりブレア率いる新しい労働党は、この悪いイメージを払拭し、マルクス主義的政策とは違う新しい政策理念を提示せねばならなかったのだ。

 

そのための新政策のたたき台となったのが、前党首スミスが設置したゴードン・ボリ卿を座長とする通称「ボリ委員会」の「社会正義に関する委員会」の報告だった。

 


第三の道

新しい労働党の方針を模索したボリ委員会では、政権を失う以前の労働党までさかのぼり、3つの考えをまとめた。

 

まずひとつ目は、規制緩和・自由経済という考え方。

 

自由市場の復活が経済再生の処方箋で、サッチャー政権が標榜する「新自由主義」だ。

 

これは「初期資本主義型」と言うべき施策であり、サッチャーはいわば歴史を巻き戻して、イギリス経済を再生しようとしたわけだ。

 

この政策は、確かに経済を活性化させたが、その一方で国民に大きな所得格差を発生させた。

 

2つ目は、富の再配分によって、経済を再生ができると考えるグループ。

 

これは「結果の平等主義」という考えであり、労働党を乗っ取った共産党分子たちが主張していたものだ。

 

しかしこの考えでは、富の生産、つまり誰が経済価値を生み出すかに関しては無視されており、国民搾取によって集めた富を分配するだけで、「金をもらう側」の勝手な論理に過ぎなかった。

 

労働党がこの政策を実践し続けた結果、イギリスでは基幹産業の労働組合がインフラを支配し、それを人質にしてストを行い、経済を毎年混乱させてしまった。

 

さらに重税や様々な規制によって投資を冷え込ませ、資本家や企業家、イノベーター(革新者)を身動きできないようにし、日本や西ドイツにも後れを取るようになってしまった。

 

そこでボリ委員会は、3つ目の考えとして、活力ある市場経済と、コミュニティ的価値の統合で、経済と社会の両方を再生できると言う考えを提示した。

 

これは機会の平等や再配分によって経済を活性化しようとする考えで、教育を通じて国民に投資し、より高いスキルと変化に対応できる能力を国民に与えることによってイギリスを再興しようと言う考えであった。

 

ブレア労働党は、この考えを元に「第三の道」と「福祉から就労へ(Welfare to Work)」を掲げ、新たな労働党の中心政策として総選挙に臨み、18年ぶりに保守党から政権を奪還した。


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