議会制民主主義は、イギリスの血と汗の結晶。

産業社会,民主主義,情報社会,経済

イギリスの現在の政治体制は、我々日本人から見ても謎が多い。

 

国王がいるのに権限を持たず、上院と下院があるのに、なぜか下院の方が強い。

 

上院と下院なら、フツー上院の方が強いだろう。

 

実際アメリカも二院制で、上院と下院に分かれているが、アメリカでは上院が優越権を持っているので、これだけでも不思議である。

 

その他にも、対面座席の下院議会や、議長を「スピーカー」と呼ぶなど、様々な謎がイギリス議会にはたくさんある。

 

しかしそれは、イギリス議会が議会制民主主義の歴史そのものだからである。

 

イギリス議会はノルマンディー公ウイリアム時代のキュリア・レジス(12世紀の貴族会議)に端を発する、なんと700年もの歴史を持つ議会なのだ。

 

12世紀というと日本では鎌倉幕府の時代であり、そんな昔からイギリスでは様々な問題を議会で議論してきた。

 

その名残が、イギリスの政治制度に様々な形で残っているわけである。

 

その歴史の過程で三権分立制複数政党制二院制議会(両院制)などと言った仕組みが生み出され、それが今や世界中に広まっているのだから、イギリス議会の歴史は人類の貴重な財産であろう。

 



マグナ・カルタを巡る戦いが議会制民主主義の発端

イギリスに今のような議会ができたのは、今から700年も前の13世紀である。

 

当時のイギリスはフランスにあった領土を巡ってずっとフランス国王と戦いを繰り広げていた。

 

13世紀のイギリスは、イングランド王ジョンが戦争に敗れて、フランスにあった領土を失ったところから始る。

 

今でも領土問題は国家を揺るがす大問題であるが、虎の子だったフランスの領土を失ったのは大問題だった。

 

領土を守るために兵力を提供し、戦争協力目的で税金をとられた挙げ句、「失敗しました、ごめんなさい」というわけだから一大事。

 

イングランドの諸侯・貴族や国民からは不満が日増しに高まり、ジョン王の退位を求める声が日どんどん強まって行った。

 

当時のイギリス貴族というのは日本で言うと戦国大名のようなもので、戦争となると自らの軍隊を率いて国王に協力していたのだが、それが「失敗しました、ごめんなさい」では話にならない。

 

なので諸侯の支持を失った国王は、退位するか諸侯と戦うかの二択を迫られた。

 

退位か処刑かの二択を迫られたジョン王は、形勢不利だとみるとそこで妥協案を提案する。

 

つまり国王の権限を明記した文書を作り、それを遵守すると宣言したわけだ。

 

これをマグナ・カルタ(大憲章)という。

 

これが実はアメリカやイギリスの民主主義の発端になるんだね。

 

NEXT:マグナカルタ成立までの長い道のり


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