やっぱ信教の違いは大きいでしょ
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カトリック教徒であるのにもかかわらず、プロテスタント国の王位に就いたジェームス2世。
ジェームスの王位継承権を認めるかどうかでイングランド議会はまっぷたつに割れたが、国王チャールズ2世は国王大権を使い、王位排斥法案が通りそうになると議会を解散し再招集しない作戦をとり、そのまま逝去。
そうしてジェームスはなんとか戴冠するが、やはりカトリック教徒を重用し始める。
信仰自由宣言を出して非国教徒の制限を解除し、次々と要職からプロテスタントを外し、息のかかったカトリック教徒に置き換えていく。
ジェームス2世の即位を容認していたトーリー党議員たちもだんだんこりゃマズいなと感じ始めるのだが、ジェームス2世には男の子が生まれなかったので、次の王様はプロテスタントにすればいいかと考えていた。
幸いジェームス2世の娘メアリーはプロテスタントで、プロテスタント国オランダの統領と結婚しているし、ジェームス2世が死んだらメアリーを王位に就けよう。
そう思っていたらなんと、ジェームス2世の後妻に男の子が生まれてしまう。
後妻はプロテスタントではなくカトリック教徒だったため、このままではイングランドがカトリックの国になりかねない。
トーリー党側も慌ててホイッグ党と手を組み、オランダに密使を送る事にした。
名誉革命
異教徒ジェームス2世を国王に即位させてしまったイングランド議会。
悪い予感が的中し、このままではエライことになってしまう。
そう考えた議会は一計を案じる。
オランダ統領オラニエ公ウイレム3世(オレンジ公ウィリアム3世)にイングランド上陸を要請したのだ。
イングランドとオランダは、イギリス海峡の制海権を巡って何度も争っていたが、当時のオランダは、ちょうどフランスの侵攻を受けて味方が欲しかった。
敵であったとはいえ同じプロテスタントの国。
海軍同士が小競り合いを繰り返していただけで、国民には反オランダ感情はない。
しかもウイレム3世は先々代国王のチャールズ1世の外孫であり、現国王のジェームス2世メアリーの娘婿でもあった。
異教徒に乗っ取られかけているイングランドの救世主としても申し分がない。
そうしてウイレム3世が数万の軍とともにイングランドに上陸したところ、それを迎え撃つはずだった国王軍は、ピクリとも動かない。
というのもプロテスタントの兵士はカトリックの上官に従わず、軍司令官も早々に戦いを諦めて降伏してしまったのだ。
これに驚いたジェームス2世は、家族を引き連れてフランスへ亡命してしまい、イングランド議会の企ては、拍子抜けするくらいにあっさりと成功してしまう。
この無血革命が名誉革命である。