ゆりかごから墓場まで
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第二次世界大戦で勝利したものの、すっかり疲弊してしまったイギリス。
戦費でGDPの250%もの借金ができ、海外の植民地を維持する費用どころか、生活必需物資の配給もままならなかった。
アトリー労働党内閣は、このピンチを基幹企業国有化と配給体制でしのいだ。
国内では1950年まで配給制が続き、所得税も引き上げられたのだが、石炭、鉄道、通信などの産業を国有化して失業者を減らし、配給制と医師の公務員化による無償医療制度によって、とにもかくにも復興を進めたのだ。
イギリス労働党の主張する社会政策は、「ゆりかごから墓場まで」といわれるが、生まれたときから死ぬまでを社会保障で支える政策が、戦後復興の数年間で実行されたわけだ。
おかげで徐々に配給制から脱却するのだが、復興が進むに連れて不満も徐々にふくらんでいった。
その結果、1950年の総選挙では、アトリー労働党は過半数ギリギリまで議席を減らしてしまう。
さらに起死回生を狙って行った翌年の解散総選挙では、得票率こそ保守党を上回るものの獲得議席数を減らし、チャーチルの保守党に政権を譲り渡してしまう。
得票率が高いままなのに選挙区で議席が取れなかった原因は、党内の左右両派の路線対立が明らかになり、激戦区で議席が獲得できなかったからである。
選挙というのは激戦区、つまり有権者が判断に迷っている地域で、有権者を納得させることで初めて政権が獲得できるのだが路線対立によって有権者を不安にさせ、投票をためらわせてしまったのだ。
問われているのはマニフェストだけではなくコミット力
小選挙区制とは、政策によって政権担当政党を選ぶ選挙制である。
政党は投票前にマニフェスト(選挙公約)を発表し、それを実現することを約束して投票を呼びかける。
立候補者は自党のマニフェストを、いかに実現してみせるのかを熱弁し、自分への投票を呼びかける。
つまり小選挙区制では、マニフェストの内容だけでなく、政党や立候補者が、どれだけ本気でマニフェストを実現するかという本気度も投票を左右することになるわけである。
だから当然ながら、マニフェストと立候補者の言うことが違っていると信用されない。
党本部のマニフェストにはこう書いてあるが、私はそれには賛成しないと言う候補がいたら、その政党のマニフェストが実行されるかどうか怪しい。
約束を守ることを約束するのを「コミットメント」と呼ぶが、労働党は内部対立によってマニフェストの実行を、コミットメントできない状態になったわけだ。
そうなると激戦区で議席が取れなくなるので、当然ながら政権は取れないということになる。
自党が強い選挙区でたくさん票をとれば、全体の得票率は確かに上がるのだが、それではダメなのだ。
問われているのはマニフェストだけではなく、そのマニフェストを実行するコミット力なのだ。