民主主義国における「右」と「左」
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政治でいう「右」とか「左」という言葉は、200年前のフランス議会で、議長の右手側に座っていたグループと、左手側に座っていたグループに由来する。
右側に座っていたグループ(右翼)は、国王を中心とした政治を維持しつつ、部分的に改善しようというグループで、「保守派」と呼ばれる。
一方、左側に座っていたのが、左翼と呼ばれるグループで、彼らは、政治がうまく言っていないのは、国王中心の政治体制のシステムが、時代に合っていないと主張していた。
左翼グループは、国王中心ではなく、政治は議会を中心とした体制にし、古い慣習や、しきたりに囚われず、ドンドン改革を進めるべきだとしたため、「革新派」と呼ばれる。
右翼と左翼は国の政治システムや、王政に対して考え方が真反対であり、互いに利害が対立していた。
というのも王政によって利益を得ていた貴族や聖職者・御用商人などは、王政が廃止されると特権を失う。
一方、王政の特権によって、不利益を押しつけられていた一般市民や新興実業家たちにとって、自分たちの要求が通りやすい議会政治の方がはるかに良い。
そこで保守的な王党派と改革派は、議長を挟んで反対側に陣取っていたということらしい。
というのも考えが異なる者が混ざっていると、いつケンカになるかわからないしね。
そして右にも左にも属さないグループや政治家を、ひとくくりにして「中道」と言う風に呼ぶようになった。
中道は「センター」とか「セントラル」などといい、「是々非々で少しずつ変えていきましょう」というグループだと思えば良い。
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民主主義国における「右」と「左」
政治の「右」とか「左」という用語は、元々、国王を中心とした体制を維持するべきか革新すべきかという利害対立と考えの違いを意味していた。
ところがこの「右」「左」という分類は、200年後の現代の政治では、よくわからない分類になってしまった。
というのも国によっても意味が違うし、時代によっても定義が違うからだ。
たとえば現在の西ヨーロッパの国々ように、国王がいても政治を行う立場にない場合、「右」「左」は、もはや王政とは関係が無い。
王政を維持するかどうかと言われても、すでに王政が機能していないし、王政特権勢力もすでに少数派だから、王政復古を目指す力も持たないのだ。
またアメリカ合衆国にいたっては、建国当時から国王がいないわけだから、王政の是非で対立することすらない。
そのため「右」とか「左」と言う用語は、非常にややこしい使い方になっている。
基本的な意味としては、
「伝統的な慣習やしきたりにこだわらない」→「左」または「リベラル(自由主義)」
というのも国や文化によって、伝統的な慣習やしきたりが違うからだ。
歴史的に何を重んじてきたかは、その国や文化の成り立ちによって全然違う。
農業国は農業に適した慣習やしきたりがあり、商工業国には別の価値観がある。
キリスト教国やイスラム教国、儒教国にも別の慣習やしきたりがある。
欧米では「個人の自由を優先=右」とするようだが、日本で自由を叫んでいる人を右翼とは呼ばない。
だから「右」だ「左」だと言っても、実際に意味していることは国や文化によって異なるし、おそらく人によっても主張は大きく違うだろう。
だから、政治的な話をする場合に、右とか左とかいう用語を使うと混乱が起こる。
なので、このサイトでは、次のように、民主主義-社会主義と、保守-革新という二つの軸でマッピングして考えることにする。