富(とみ)の源泉
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富(とみ)とは、人間が自分の欲求を満たすために使えるモノのことだ。
まず、お金は代表的な富だ。
たとえば贅沢な暮らしをしたり、高価なモノが欲しいと思ったとき、大きなお金が必要になる。
大きなお金があれば、贅沢な暮らしができたり、高価な物が買えるから、お金は富だと言うことになる。
しかし大きなお金がなければ、贅沢な暮らしができないか、高価な物が手に入らないかと言えば、他にも色んな方法がある。
たとえば権力や地位があれば、権力や地位を使って、欲しいモノを献上させれば良い。
お金がなくても暴力や詐欺で、お金や欲しいモノを奪うことも可能だろう。
こういう権力的・暴力的な方法でなくても、欲しいモノを手に入れる方法はある。
たとえば人気タレントや人気アイドルになれば、応援してくれるファンから、必要なモノをプレゼントしてもらえる。
新しいモノを創ったり、新しい事業を始めたり、将来を期待されている人なら、応援してくれる人から欲しいモノをもらえる。
名声や人気、将来性などがあれば、お金や欲しいモノが手に入るわけだ。
つまり富とは、お金や資産だけでなく、権力であったり地位であったり、名声や人気や将来性だったりするわけで、お金を持っていなくても、欲しいモノを手に入れる地位や能力があれば、それが「富」と言うモノなのだ。
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伝統社会の富は、農奴によって作られた
富とは、欲しいモノを手に入れるために、利用出来るモノのことをいう。
では富とは、どうやって生み出されるモノなのか。
古典的な経済学では、
【富(あるいは財)】=【資本】×【労働力】
だとしている。
資本というのは、お金や土地とか建物とか、生産機械などのことで、労働力を使ってモノを生産する。
資本を持っている人は、お金を出して労働者を雇い、経済的に価値があるモノを作って売る事によって、投資資金を回収し、利益を得る。
そして資本が大きければ大きいほど、たくさんモノを作ることができるし、雇える労働者が多ければ多いほど、たくさん経済価値を生み出すことができる。
たとえば1ヘクタールの農地から得られる利益がわずかであっても、100ヘクタール持っていれば、100倍の利益になり、豪勢な生活ができるって事だね。
こういうのを経済学では「規模の経済性」と呼ぶ。
ただ、こういう風に富を生み出すには、自分の持っている資本をうまく管理し、しっかり働いて生産してくれる労働者を確保しないといけない。
そのため富の生産で重要なのは、資本の管理と労働力の確保になる。
そこで産業革命以前の伝統社会では、多くの国では、「農奴(のうど:seldom)」という身分の労働者がたくさんいた。
農奴とは、奴隷ではないが土地に縛り付けられた農民のことで、荘園に隷属する労働者のことだ。
農地だけあっても生産はできないし、農民だけいても農産物は作れないため、農地と労働者(農奴)がセットにされて管理されていたのだ。
これがつまり、伝統社会における富の創造って事だね。
ところが農業革命や産業革命が起こり、農業の産業化や工業化が進むと、労働者の取り合いが起こり、農奴制は次第に解体されていった。