貸し渋り、貸しはがし頻発で、日本経済大混乱

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銀行は集めた預金を元に、お金を貸し出して儲けるビジネスだ。

 

たとえば100億円集めれば、支払準備金として10億円だけ手元に残して、後は全部貸し出してしまう。

 

貸し出した90億円のうち、すぐに必要がない資金は自分の銀行に預金してもらうようにして、その預金を元にまたお金を企業に融資する。

 

そうやって、集めた100億円の何倍もお金を貸して利子を稼ぐわけである。

 

これを「信用創造」とか「レバレッジ」と呼ぶ。

 

ところがこの仕組みは融資が焦げ付くと、あっと言う間に自己資本が減る仕組みでもある。

 

たとえば100億円しかないのに400億円も貸していたら、融資先の企業が倒産して100億円の融資がパアになったりする。

 

そうなると実物の100億円が吹っ飛んでしまって、預金者にお金を払い戻せなくなるので、取り付け騒ぎが起きて銀行は潰れてしまう。

 

こういうことを防ぐために、BIS(国際決済銀行)では、貸出総額に対して常に自己資本が8%以上にするという国際的なルールを1988年に作っていた。

 

(バーゼル合意)これがバブル崩壊後の1992年に日本に襲いかかった。

 

不良債権の発生によって自己資本比率が下がった銀行は、自己資本比率を下げないために融資を減らし始めた。

 

新しい融資は渋り、融資先からは可能な限り融資を回収した。

 

これがいわゆる「貸し渋り」「貸しはがし」と言うヤツである。

 



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黒字倒産続発

BIS規制後、銀行はお金を貸さなくなった。

 

さらに貸したお金を回収し始めた。

 

これを「貸し渋り」「貸しはがし」と呼ぶが、社会的な大問題に発展した。

 

というのも1992年以降も株価や土地の値段はダラダラ下がっていったので、不良債権はドンドン増えて行くし、銀行の自己資本もドンドン目減りしていったから。

 

BIS規制では、銀行が所有している株式なども自己資本比率に加えても良いことになっていたが、その株価がジワジワ下がっていったから、90年代末までこの「貸し渋り」「貸しはがし」が続いたのだ。

 

これによって日本の中小企業はあっと言う間に資金繰りに困るようになった。

 

当時の中小企業の多くは、経営資金を銀行から借りていることが多かったので、銀行の融資がなければすぐに支払いにも困る状態だったのだ。

 

その結果、経営は黒字なのに、銀行から資金を借りられずに黒字倒産する企業まで出てきた。

 

一方、銀行の方も90年代後半から破綻し始めた。

 

政府は不良債権を抱えて身動きできなくなった銀行に、「資本注入」と称して、数十兆円の資金を注ぎ込んだ。

 

それと同時に財務状況を厳しくチェックし、ひどい場合は国有化して整理することにした。

 

これによって戦後初めて銀行が倒産し、さらに北海道拓殖銀行(拓銀)や日本長期信用銀行(長銀)、そして日本債券信用銀行といった大手銀行も整理倒産した。

 

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