やりたい奴を集めて、どんどん舞台に立たせるだけ

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1980年の漫才ブームをキッカケに、東京に再進出を始めた吉本興業。

 

最初は単なる連絡事務所であったが、次第に東京で仕事を増やしていく。

 

またタレント養成学校として始めたNSCからダウンタウンやナインティ・ナインなどの人気タレントが出たことによって、タレントの発掘や育成方法も確立していった。

 

その育成方法とは非常に簡単な方法で、「やりたい奴を集めて、基本だけ教え、あとはどんどん舞台に立たせる」というものである。

 

NSCの授業料は1年間でなんと40万円もするのだが、卒業したタレントによると「大したことは何も教わっていない」という。

 

授業では最初の三ヶ月で、挨拶やマナー、発声練習やダンスと殺陣、それから基本的なお笑いのパターンなどを学ぶだけで、あとはもうひたすら実践で、発表会やコンテストなどで腕を磨くという。

 

そしてNSCで1年間勉強しても、芸能人として活躍できる保証は全くない。

 

あるのはせいぜい、各種オーディションを受けたり、ヨシモトが運営する劇場に出演するチャンスをもらえるだけである。

 

ここでチャンスをもらった芸人の卵達は、若手タレント専用の劇場で舞台を踏み、さらに大きなチャンスをつかむために日夜、研鑽を積んで成功するまで頑張るだけ。

 

しかしそんな中から、多くの若手タレントが育ち、テレビやラジオで人気を獲得するのだから面白い。

 



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ヨシモト、地方開拓戦略に乗り出す。

ヨシモトはタレント養成学校NSCを成功させ、新たなタレントをドンドン生み出した。

 

それを見た他の大手芸能プロダクションは、ヨシモトに続けとばかり、自前の芸能学校やタレントスクールを次々と立ち上げた。

 

流行廃りの激しい歌手より、使い勝手の良い芸能タレントを育てる方が、はるかに採算があるという算盤勘定だろう。

 

芸能学校と言っても、やる気のある奴を集め、あとは基本だけ仕込んで舞台に立たせるだけだから簡単である。

 

もともと芸能人を抱える事務所であればそのツテで若手にチャンスを与えることができるから、ここからもまた多くのタレントが誕生していった。

 

また中小事務所でもタレント養成に乗り出し、その結果、弱小プロダクションからも人気タレントが生まれた。

 

一方、吉本興業は本格的な東京進出を狙って、東京にも劇場を作り、NSC東京校も開校して、関東出身のタレント発掘に力を入れ始めた。

 

さらに所属タレントの『桂こつぶ』が、子供の喘息治療のため北海道に移り住むのを機会に、北海道札幌にも事務所を開き、北海道でもタレント発掘&育成に力を入れ始める。

 

札幌に事務所を開くならと、名古屋や広島、博多などにも事務所を開設し、さらには地元出身のタレントを発掘して、地元の放送局にドンドン売り込む戦略に乗り出す。

 

関西特有の文化だと思われていた漫才やお笑いを、日本各地に広めることによって、ビジネスのパイを拡げる戦略だ。

 

NEXT:ローカル戦略と競合相手を取り込むことによって、お笑い業界のパイを拡げる


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